自分の家が貧しいということを悟られたくなかった
2018/03/28
自分の家が貧しいということを悟られたくなかった。
幸か不幸か、小学校の頃から学力はそれなりにあって、学業には苦労をしなかったので、先生や周囲が自分を見る眼は悪くは無かったから、ぎりぎりなんとか一線を保つことができるような服装をして、髪も工夫して束ねたり、付き合う友達もクラスの中でもそれなりの子たちと・・・という小学6年間と、中1の秋までが過ぎた。
意識はしていなかったけど、精神的にはかなりギリギリだったように思う。
実態は母親がシングルマザー。
身体が丈夫な方ではなく、パートをしたり、身体を壊して生活保護になったりを繰り返していた。
家は築30年超の古アパートで、辛うじてお風呂はあったけど、節約のために週1回しか入れなかった。
服も親戚のお下がりばかりで、たまたま遠くに住む数歳年上の従姉妹がいたから、何とか恥ずかしくない格好はできていたのが救いだった。
中1の秋、学校祭の準備の時、壁画を描くグループに当たった。
油性のポスターカラーで大きなキャンバスの下書きに色をつけていた時、同級生が黒の塗料がたっぷりついた刷毛を持ったまま床に敷かれた新聞紙につまづき、自分のジャージズボンの太ももから膝まで、刷毛を擦り付けるように転倒した。
当然、今で言う青い芋ジャージにべっとりと黒い塗料が付き、みんなは慌ててそれを拭ってくれたけど
非常に目立つ黒い染みがついてしまった。
普通なら、学校指定のジャージを買う時は、替えも含め2~3着購入するところだけど、経済的な理由から、1着しか持っていなかった。
週に1回、週末に洗濯をするだけ。
私は謝る友人に怒りこそ感じなかったが、これから先のことを考えると、ひどく落胆した。
家に帰り、母親に事情を話しても、すぐには買えないとの返事。
予想はついていた。
学校祭準備といえば、その期間はジャージで登校するのが決まりだったので、何度洗っても落ちない黒い大きな染みのついたジャージを履きつづけることしかできなかった。
毎日、同じジャージを履きつづけてることは段々と周囲の噂になっていった。
替えのジャージを持っていない、洗濯もしていない、家はひどい貧乏らしい・・・・と。
確かに全ては事実だった。
少しづつ、精神的に蝕まれ始めていった自分を追い込んだのは、学校祭翌月の写生会だった。
学校近隣の牧場で、馬の写生を行いにいったときのこと、徐々に孤独を深めていった私はひとり、絵を描いていたが、女子の不良グループがいつのまにか私を囲み、ジャージの上着を無理やり脱がすと、 牧場内の端にあった馬の糞混じりの泥地にジャージを投げ込まれてしまった。
ジャージはあっという間に糞と泥が入り混じった黒い水分を含み、ひどい有様になっていた。
私は泣きながらジャージを拾い上げ、牧場端の水道でジャージを洗ったが、ジャージ全体に黒ずんだ色がまわり、家に帰ってからも洗剤をつけてあらってもそれが取れることはなかった。
この出来事のあと、私の中の貧しいことを悟られたくないという気持ちの一線が切れてしまった。
どうせ馬鹿にされるならとことんどうぞ、やるだけやってください・・・
髪を可愛らしく束ねるのもやめた。
お風呂入らなくても平気。
ふけと脂にまみれた髪を垂れ下げ、体臭を振り撒きながら染みまみれのジャージとろくにクリーニングもしない制服に身を包み、馬鹿にされるどころか、いつしかまわりは誰も寄ってこなくなった。
中学を卒業して、母親とともに住み込みで工場勤めをして、いろんな土地を転々としたけど、真面目に働いていたら、今の工場長がこれ以上転々としなくてすむよう住まいと事務仕事を提供してくれ、今に至っている・・・と言ってたのさ、会社の事務の女性がね(38歳、既婚、子一人)