妻の介護体験

2020/09/05

私は、ご老人ご自慢の「盗撮部屋」に閉じ込められていました。
ここにいれば、家の中で怒ることは全て見える。
しかし、外の世界に働きかけられることなど、何一つ無いのです。
部屋の中は快適な温度のはずなのに、さっきから、掌で火照った顔をひらひらと扇いでは、無意味にスイッチを切り替えています。
おかげで、カメラの切り替えは、思うがままになりかけた頃、玄関のチャイムが鳴ったのです。
家中に響くチャイムは、直接、この部屋には聞こえません。
厳重な防音が遮断してしまうのです。
部屋の防音は、いろいろと試してみました。
煩いほどの声を出しても、壁に耳を当てない限りわからないはず。
ですから、モニタにつないだスピーカーの音量は絞る必要がありません。
ピンポーン。
「来たか」高性能のスピーカーが不必要なまでにリアルに再現する、軽やかで、でも、何かしらの嵐を含んでいるように聞こえるチャイムの音が、この部屋にも響いていました。
心臓を今にも止めてしまいそうな、刺激をはらんだチャイムが響いた瞬間、指が勝手に玄関のカメラに切り替えています。
「理子……」ご老人は、この部屋に外からカギをかけて行ってしまいましたから、もう、こうなったら開き直るしかありません。
イスに深く座り直して、私は正面のモニタを、まじまじと見つめます。
「F市真心サービスから参りましたぁ。篠崎と申しまぁす。どうぞ、よろしくお願いしまぁす」社会人経験のない妻は、おそらく教えられたとおりに、精一杯、笑顔を浮かべて、挨拶をしているのでしょう。
早くも陽が傾き始めた柔らかな日差しを背後から受け、初々しい表情の妻。
新入社員のそのものの緊張をみなぎらせて、それでも笑顔を満面に浮かべ、作りたての角の丸い名刺を差し出しながら、玄関先でぺこりとお辞儀しています。
おそらく戸惑いがあるのでしょう。
私の営業成績をすべて作り出しているという「権力者」の家として、この家も、そして、ご老人の姿も、つつましすぎると感じているはずです。
なんと言っても妻自身が、旧家の生まれなのです。
経済的に裕福すぎるほどではなくても、子どもの頃から育った実家は、大勢の親戚が泊まれるように、数え切れないほど部屋を持った平屋建て。
出入りの庭師が何人もで手入れしないといけないような庭に、敷地の片隅には、昔ながらの蔵まであるという作り。
都会育ちの私にとって、妻の実家は驚きの連続のような邸ですが、そこで生まれ育った人間にとっては、それが「旧家の暮らし」というものなのです。
しかし、ご老人の家は、一見、ごくごく普通の家でしかありません。
ひいき目に見ても「ローンをやっと払い終えた家に住む、枯れ果てた独居ご老人」といった風情でしかありません。
ですから、私から聞いているご老人と目の前にいるご老人は、別人であるかのように思えているかもしれません。
いえ、妻の頭からは、ご老人の権力も金も頭からきれいに消え去ってしまい、目の前にいるのは、一人暮らしの悲しいお年寄りとしか映らないはずです。
「本当に、来たか……」長らく忘れていたはずの爪をかむクセを、思わずやってしまっている自分を発見して、次の瞬間、自分が震えているのだと気が付きました。
恐れていた現実。
目の前の大きなモニタにくっきりと映し出されている妻の姿。
動きやすいようにでしょう、デニムに、明るいレモンイエローのトレーナー姿。
派手なロゴデザインは、初めて仕事に就いた妻のうれしそうな心境が現れているようでした。
簡素な装いの中でも、いかにも働き者の妻らしい、新鮮さとやる気に満ちているのがわかりました。
先入観があるせいでしょうか。
ただ立っているだけなのに、妙な色気が発せられている気がして、見ているこちらの方が落ち着きません。
『大丈夫……のはずだ』ご老人が強姦などしないと宣言した以上、危険な目に遭うことはないはずです。
となると、金を使って交渉するつもりでしょうか。
いや、それだったら、プロの女でも、いいはずです。
はたまた、何かで脅すつもりなのでしょうか。
脅すという言葉が頭を横切った瞬間、私は猛烈に嫌な予感に襲われていました。
『まさか、オレのことを……いや、まさか、だよな』自分の思いつきを、慌てて打ち消さなければなりません。
『オレの妻だと知っていて、それで理子を脅すつもりなら、はじめから、そんな現場を見せるはずがないじゃないか』ゴクリと唾を飲み込み私です。
『うん。だよな。まさか、知っているはずもないし』自分の考えを自分で打ち消し、自分で頷く一人芝居。
『ま、どっちにしろ、あの、まじめで、潔癖な理子が、簡単に、いや絶対に淫らなことをするはずがない』その時、私は、懸命に、昨日の事件を、考えないようにしていたのは確かです。
『うん。まして、相手はこんな年寄りなんだし』懸命に言い聞かせている自分です。
ただ、その甲斐あってか、ようやく安心できた気がするのです。
あの真面目な妻に限って、ご老人に口説かれるわけがありません。
セックスどころか、何かハプニングのようなことであっても、簡単に成立するとは思えませんでした。
『賭に勝つ』そう確信して、バーゲニングチップである「五十台」のノルマ達成を祝してガッツポーズの一つも取って良いはずなのです。
「だけどなあ。まさか……いや、まさかなんだけど……」いくら頭で、そう分かろうとしても、漠然とした不安は、暑くもない部屋にいる私の背中を、冷ややかな汗というカタチになって、したたり落ちていました。
二つの巨大なモニタには、計算し尽くされたアングルで、顔のアップと全身が映し出されています。
あちらこちらで面接を受けていた時とはうって変わって、今朝よりもさらに化粧っ気を落としたナチュラルメークに戻っています。
それが逆に、人妻らしさというか、清楚な人妻の色気を強調している気がするのです。
人妻としてのものなのか、はたまた私だけが感じてしまうモノなのか、化粧っ気も感じられないほどのメークには、何とも言えない、色気が薫っています。
「しのざき、りこさんか……良く、来なさった。どうぞ」妻とは目を合わせようともせず、名刺の名前を、確認しています。
一瞬、妻は「りこ」と発音された名前を「さとこです」と訂正しようとしたのです。
しかし、知らん顔のご老人は、カメラをまったく意識しない動きで、普段よりも数段不機嫌そうな顔のまま、スリッパを勧めるだけ勧めると、とっとと奥に入ってしまいました。
「あ、あの、お、お邪魔します。失礼します!」素早く脱いだ靴を揃えると、何が入っているのか、大きめのバッグを慌てて抱え直してご老人の後を追いかけます。
さっきからずっと練習してきたカメラの切り替えは、流れるように上手くいって、妻がご老人と洋間のイスに座る所までをごく自然な形で追えました。
対面した妻とご老人を見ると、またもやさっきの危惧が改めて襲ってきます。
『まさか、だよな?』ご老人との賭けは「人妻を落とす」こと。
その落とすところを見つめる役のはずの、私。
よりによって、その私の妻が、ここにやってくるとは……ご老人は、やって来たオンナが私の妻だと知っているのでしょうか?しかし、無愛想さを、ワザと見せつけている仕草からも、そして言葉からも、それを匂わせる気配はありません。
『口止めしておいて、よかった……』さっきの電話で「オレのことを絶対に言うな」と念を押しておいたのです。
もし、妻が、私の妻であることを喋ってしまえば、当然、名前のことも、そして「妻が働いていること」も分かってしまうのです。
特に、名前のことは決定的でした。
「今まで名前のことをなぜ黙っていた!」と逆鱗に触れれば、明日の私の立場どころか、営業所全体がどんな目に遭うか。
考えただけでも怖気が付きます。
会社自体が吹き飛ばなかったとしても、少なくとも、私があの営業所にいられなくなることは目に見えていたのです。
モニタ越しに、一生懸命働く決意を込めた妻の横顔を見ていると、妻に口止めしておいたことだけが、今更のように、安心材料であることを思い知らされています。
『そうだよな、あいつが口を滑らせることはないだろうし。理子なら、いくらご老人でも落とせるわけもないしな』ヘンな汗が、背中を流れ落ちるのを感じながら、私は自分に何度も言い聞かせています。
その辺の普通のオンナならともかく、あのお堅い妻が、ご老人とセックスしたがるようになるなんて、あり得ません。
『オレのコトを、間違っても喋らないでくれよ』ひたすら、そのことだけを心配すればいいはずです。
幸いにも、世間話すらしないご老人は、淡々と、というより、いつものご老人にしてはひどく無愛想なまま、部屋の掃除を命じたのです。
ワザと、かくしゃくとして見せるような感じすらするご老人の動きに介護を必要とするようにも見えません。
しかし、妻は、初めての「お仕事」に気をとられていたのでしょう。
そんな様子には不審を抱いていないようです。
介護をどうするか、よりも、命じられた仕事を健気なほど一生懸命しようとするので精一杯でした。
『しかし、ご老人、これでは、落とすどころか、怯えさせてないか?』昔から、お年寄りや子どもに、自分の損得も省みずに、ひどく優しさを見せるのは妻の良いところです。
ある意味で、介護の仕事は、妻にふさわしかったのかも知れません。
今も、初対面のお年寄りに対して少しでも優しさをみせるべく、あれこれ話しかけようと試みたり、懸命に微笑んで見せたり、涙ぐましい努力です。
しかし、まさに「偏屈ご老人」を地でいくような対応に、妻は困惑しながら、それでも、小さい頃から厳しい躾を受けて、家事が得意な妻は、手早く掃除を進めます。
『あれ?』驚いたのは、普段から整理されているはずの部屋のテーブルに、いかにも慎ましげなご老人のお小遣い、と言った小銭が転がっていたこと。
長く出入りしている私も、こんなだらしのないシーンは見たことがありません。
『あんなもん、さっき、なかったよな?』妻も気がついたらしく、早速ご老人に声を掛けますが、知らんぷりの様子。
ついには妻は、一つ頷いてから微笑んで、手早く片付けに入ります。
そこにあった小銭を数えながらまとめると、さっと洋間のイスに座ったままのご老人に近づくと跪いたのです。
「はい、これ、眞壁さん、あの、大切なお金がちらばってました。たぶん2千と643円でいいのかしら。あの、これ、お確かめください」小銭ばかりのお金をそっと差し出すと、ご老人の手に、自分の手をそっと添えながら、お金を握らせました。
その瞬間、ご老人の眉がヒクリと動いたのを妻は見たはずです。
にっこり笑いかける妻に、初めてご老人は、うむ、と頷きました。
曖昧だとは言え、初めて応答してくれたご老人に妻は透き通るような笑顔が自然とこぼれます。
『いいやつだよな、おまえ』我が妻ながら、底抜けに優しくて、明るい妻の素晴らしい姿を見せてもらった気がします。
「じゃあ、あの、これ、できれば、早くしまってくださいね。お掃除、続けます。あの、ご用があれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」再び頷く顔を見てから、妻が立ち上がって掃除を再開します。
和室の障子をひとつ見つめた後、妻は、ご老人の方を振り返ります。
「あの、ハタキってありますか?」
「ハタキ?」ご老人は、思わず、といった声で聞き返します。
「ええ、あの、その、障子の桟の部分、ハタキで掃除した方がいいかと思ったんです」
「あ、おう、あるとも、その廊下の突き当たり、モノ入れの中にあったはずだ」ご老人の顔には「意外だ」と書いてあって、驚きの色を隠しません。
「は?い、え?っと、あ、あった。じゃ、お借りましますね」パタパタパタ。
手首のひねりをきかせ、的確にホコリだけを落としていく手際。
小さい頃から、躾けられたことが生きています。
実は、障子の桟を掃除するには、「上手にハタキをかける」のが一番、障子を痛めないですむのです。
しかし、今どきのマンションに障子のある部屋なんてありませんし、まして、ハタキを上手に使える主婦なんていなくなっています。
妻は、それをあっさりと、しかも、ごく自然な姿で見事にこなしていました。
もちろん、私達のマンションに障子などありませんから、妻がハタキを使いこなす所など私も初めてみました。
細い指先に、しっかりと握られ、そのくせ、軽やかな動きで、ホコリを次々と払い落とす仕草には、我妻ながら美しさすら感じます。
トレーナーにデニム姿ではありますが、立ち居振る舞いには、古き良き日本の主婦というか、美しくも、やや古風な日本女性の姿がそこにありました。
しかも、真面目であることも古風であることも、女性の色香とは相反しません。
ゆったりしたトレーナーでも包みきれぬ細身から突き出した胸、デニムのピチッとした生地が逆に強調する尻の丸みには、えもいわれぬ人妻の色気があったのです。
「じゃあ、次は、こちら、掃除機をかけま?す」妻の明るい声が響いた、その時、突然、ご老人が立ち上がりました。
一瞬、ご老人が無理矢理襲いかかるつもりかと、思わず私が腰を浮かせてしまったほど突然の行動です。
「篠崎さん、いやさ、リコさん」
「は、はい?」突然のご老人の動きに、どうしていいか分からなくて固まってしまった妻の目の前に、ご老人はいきなり土下座をしたのです。
「すまん。許してくれ」
「え?あの?なに、えっと、あの、眞壁さん、ま、か、べ、さんてば」
「あなたを試してしまった。金をバラまいておいたのはわざとじゃ」
「え?」
「ごまかそうと思えば、いくらでもごまかせたはずじゃ。あなたは一円たりともないがしろにせず、きちんと、このご老人に渡してくださった。おまけに、あのハタキの使い方」ご老人の顔には、演技とは思えない感動がありありと浮かんでいます。
「ああ、今時、あのようなしっかりとしたハタキの使い方。きっと厳しいしつけを受けたお嬢様に違いない。ああ、なんとあなたはすばらしい方なのだろう」すがるような動きで、時折見上げる顔に涙すら浮かべながら、ご老人は、芝居じみた感謝を止めません。
「これほどすばらしい人を、試すようなことをしてしまった、許してくだされ。許してくだされ。これ、この通りじゃ!」
「眞壁さん、あの、眞壁さん?」
「すまぬ。許してくれぇい」
「あの、眞壁さん、あ、えっとあの、おじいちゃん、あの、もう、ね?頭を上げて、ね?おじいちゃん、ってば、ほら、ねぇ、もう頭を上げて、普通にしてください」妻は困惑して、なんとか頭を上げさせようとしますが、なかなか頭を上げません。
「おじいちゃん、あの、もう、あのぉ、もう良いですから、ね?頭を上げてください。お願いしますから、ね?気にしてませんから、ねぇ、おじいちゃんってば」ついには、妻の両手が、ご老人の方を抱えて、ようやく半ば上体が上がりかけた、その瞬間でした。
「うっ」一瞬動きをカチンと止めた後、ヘナヘナと妻の両手の中から崩れ落ちたご老人に、妻は慌てて抱き止めようとします。
「どうしたの?」
「う、いや、だめだ、腰が、う?ん」まるで、テコでも動かないぞ、という表情で、ご老人は顔をしかめ、苦しげにうなっています。
「え?お腰がどうかなさったんですか?」
「いや、う?こ、腰を痛めたらしい」
「そんな!大丈夫ですか?」
「いや、いいから。いいから。リコさんのせいじゃない」
「え?」
「すまないが、そっと、そうそのまま、ちょっと、このままじっとしていて、すぐ、動くようになるから、う、痛い!じっと、そのまま……すまん、うっ、痛い」
「あぁ、ごめんなさい!私が無理に抱えようとしたからですね?ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いや、リコさんは悪くない。なあに、これしきの……う、い、痛たたたっ、う?ん、こ、これは、う?む」平気だと身体を起こしかけたご老人は、痛みに力が入らないと言った様子。
妻に対して、かえって、しゃがみ込んだ身体を預けた格好です。
それはまさに、小さな子どもが母親に抱きつくようなカタチでした。
こうなってくると、抱えこんだ妻は、動けるはずもありません。
少しでも妻が動けば、とたんにご老人は、うむむむ、とうなり、痛い、を連発します。
何しろ、自分が頭を上げさせようとした、その途中でのことです。
妻の頭の中は、申し訳なさでいっぱいになっているに決まっていました。
かくなる上は、ご老人の顔を胸にかき抱くようにした姿勢のままで、妻まで動きを封じられてしまったのです。
「すまん、すまないなあ、本当に、ああ、助かるよ、このまま、ちょっと、このままで」苦しげな表情のまま、すまん、を連発しながら、そのくせご老人の顔は、妻の胸に埋められていました。
痛みを訴えるご老人を抱え込むことに懸命な妻は、ご老人の頬がぎゅっと右の胸に埋めるようにくっつけられていることなど気にも留めていないようです。
私しか知らない、豊かな膨らみの感触を、ご老人は、堂々と味わっていたということです。
「痛ったたた、すまん、ちょっと、掴まらせてくれ」
「え?え、ええ、いいですけど、あの、お医者様を、呼ばないと、あの」
「いや、いいんじゃ、医者を呼ぶにしても、この痛みが取れてからじゃないと……」
「あ?どうしましょう、私がよけいなことを」
「いやいやいや、リコさんは何も悪くない。元はと言えば、ワシがつまらないことをしたためじゃ。いわば、天罰というものだな」
「そんなこと、だって、私が余計な力を加えなければ」
「リコさんは優しいのぉ。ああ、お願いだ、もう少し、このまま支えておいておくれ。少しずつ、身体を起こすでな。ちょっと、うん、少しずつ掴まらせておくれ」
「ええ、もちろん、あの、お楽になさって。痛みが引くまで、ずっと、ずっと支えますから。ね、力を抜いてください。私で良かったら、よっかかってください。ね?」ご老人の手が、何かを探すように動きながらつかまる動き。
それは妻の身体を、まさぐるのと同じことです。
その手が、脇腹からもぞもぞと上る瞬間、妻は、たまらず、無意識のうちに、ヒクンと身体をわずかに逃そうとすると、ご老人は「あ、ちちっ」と痛みを訴えます。
もちろん、妻は慌てて身体を硬直させなくてはなりません。
「おお、優しいなあ、リコさん、ああ助かるよ、掴まってないと、身体が揺れて、腰がさらに、あうちっ」むやみに身体に掴まろうとする動きに見えて、ご老人の手は、何度も、何度も、妻の胸の膨らみをとらえます。
「痛た、たった、たた」
「ああ、無理なさらないで」
「すまんなぁ、本当にすまない」
「いいんですよ、どんな風でも良いから、痛くないように、ね、掴まってください」妻の声には、優しさ故に、切迫した気持ちがこもっています。
「ああ、うっ、あ、いや、平気じゃ、うん、うん」再び硬直した人妻の身体に、ご老人は、苦痛の呻きをBGMに、掴まらせてくれと言いながら、我が物顔であちこちを撫で回し始めました。
妻は耐えるしかありません。
言え、耐えると言うよりも、本気で、呻きを上げる年寄りの腰を心配していたのです。
乳房を撫で回しされ、柔らかな腰も、しなやかな背中も、やわやわと撫で回され、いやらしく揉まれて、わずかに身動きすれば、また「痛い」の叫びです。
こうなってしまえば、自分がご老人の腰をやってしまたという罪の意識は、次第しだいに、身体の自由を縛り付けてしまうのです。
もはや何をされても、どこを触られても動けなくなってしまいました。
ご老人の左手は「腰を痛めたご老人」を優しく抱え込んでいる腕の下をちゃっかりとくぐって、背中に回されていました。
『爺さん、やるなぁ』痛みの演技を繰り返して、妻の動きを縛ってしまえば、もうこっちのモノだと言わんばかりに、もはや好き放題に触り続けていました。
さすがに、これだけ手がうごめくのですから、妻も気にはしているのでしょうが、絶妙な間と演技が、イヤと言わせるスキを作りません。
なによりも、これだけ「痛い」と悲鳴を上げる年寄りの手を咎めるには、妻はあまりに優しすぎるのです。
おまけに気立ての優しい妻は、自分のせいでご老人の腰を痛くさせたと思っているのですから、なおさらです。
はっきりと乳房をもまれてしまっても、こうなってしまえば、困惑の表情を浮かべるのがせいぜいです。
そこには、怒りの表情も、嫌悪の色も浮かぶことはありません。
そこにあるのは、腰を痛めたお年寄りへの「心配」の文字だけでした。
「すまないなぁ。こんなご老人にしがみつかれて、さぞ、気持ち悪いことだろう、すまないなあ」
「そんなことありません。気持ちが悪いだなんて。ね、安心してください、そんなこと思ったりしてませんから。ねぇ、ほら、ちゃんと、落ち着くまでムリしないでください」無理矢理、抱きつかれれば、そのうち、はねのけることもできるでしょうが「気持ち悪いだろう」と済まなそうな表情で言われれば、むげにできるわけありません。
妻の優しさは、相手が可哀想であればあるほど、発揮されてしまうのです。
そして、ともすると、マゾヒスティックなまでに自己犠牲の発想をする妻は、人様のためになら、我が身を、好んで辛いところに投げ出してしまうという性質がありました。
今だって、もし、これで身体を離してしまえば「ご老人を気持ち悪いと思っていること」を認めたことになってしまいます。
こうなれば、妻から、身体を離すことはもはや不可能でした。
ご老人は、妻の突き出したバストの弾力を確かめるように顔を埋めながら、いつまでも手を妖しげにうごめかしているのです。
あきれるほどの名演技の迫力と、妻の身体を自由に触られている嫉妬心を押さえる努力をしながら、見守るうちに、私は、イスの上で座り直していました。
なんとなく、画面の様子が変わってきたのです。
「ん?」気が付いてみると、妻の表情に浮かんだ困惑の色の合間に、なぜかしら、時折、違う色が見えていました。
「さ、と、こ……」絞り出すような声が、我知らずに漏れてしまいます。
冷や汗とも、あぶら汗とも言えない、嫌な汗が背中を流れ落ちるのを、どこかよその世界の出来事のように感じています。
そのくせ、肘掛けを握る手が汗でヌルヌルで、何度も握り直している私なのです。
気のせいか、妻の喉の奥から、時折、息が詰まるような、あるいは我慢している何かが、衝動的にこぼれそうな音が聞こえてきます。
「んっ」
『気のせいか?いや、何を我慢をしてる?ん、違う?いったいどうしたんだ?』妻の肩が時折、動きます。
「んっ、ん」ビクンと、何かに弾かれるように短い息を漏らします。
『まさか。まさかだよな』これとよく似た息の漏らし方を、夫である私だけはよく知っていました。
『まるで、これじゃ感じてるみたいじゃないか』そんなはずはありません。
真面目で、人一倍恥ずかしがり屋の妻が、まさか、初めて会ったご老人の手で感じたりするはずないのです。
しかし、頭のどこかで、ついこの間の、店長の件がチラッと浮かんだのを、無理やり押し込めようとしてしまいます。
「ん、んっ」
『聞こえない。何も聞こえない。ヘンな声なんて聞こえない。違う。そんなはずはない。考えるな!』妻が漏らす、呼吸ともため息とも、いえ、快楽に漏らす声とも付かない声を努めて聞かないようにしても、否応なく耳に入ってくる声。
「おい、理子?」こわごわと見上げるモニタの中で、胸を揉まれている妻の頬がわずかに桜色になっていました。
「おい、その顔!」その表情は、さっきまでと違っていました。
サクリファイスの表情ではなくなっています。
眉が真ん中に寄り、唇が、わずかばかり開いたまま、ほんわりと頬がピンク色に染まった妻の呼吸が、次第に、早く、荒くなっていました。
時折、ヒクンとのけ反る背中。
いつの間にか、知性をたたえた、あの美しい黒目がちの瞳は、閉じられています。
ご老人の顔は豊かな右の膨らみに埋まり、右手は、左の膨らみを揉みし抱き、時に先端をつまむように動かしています。
『アレって、乳首を直接、だよな?』ブラジャーなど無いかのように乳首が摘ままれていました。
もはやその動きは愛撫そのものです。
しかし、妻は、それを、咎めようとも、逃げようともしていません。
ご老人の顔が、まさに、乳首に吸い付く幼児の位置で膨らみに埋もれて、小刻みに動いています。
しなやかな手は、ご老人を支えていたはずが、いつの間にか、痩せた背中をかき抱くように、頻りに動き続けていました。
時に、グッと力が入り、時に「もっと」とせがむかのように背中を撫で回し、時には何かに耐えるかのように、背中の布地に指を立てます。
「はっ、うっ、あっ、くっ、あっ」急に目をパチッと開けた妻が、一瞬、信じられぬモノを見てしまったかのように、見開いたのです。
「え?あっ……」ヒクン。
妻の顎が急に上がり、白い喉が見えています。
一瞬にして、グッと目を閉じた妻は、背中がグッと反り返っていました。
ご老人の手はギュッと力が入って、柔らかな膨らみに指を沈めています。
『え?おい?どうした?』はふ?少しだけ開いた唇から、空気の漏れてしまうような、静かなため息をこぼした妻の薄い肩がカクンと落ちて、しがみつくご老人の背中に静かに置かれていました。
『ん?理子?どうした?さとこ?』いつの間にか、ご老人は動くのをやめて、静かに妻の背中を撫でています。
ゆっくりと、ゆっくりと。
まるで、愛する人をいたわるかのように、静かななで方で。
長い長い時間がたった気がします。
急に我に返ったように、妻が、ご老人からなんとか身体を離したのは、それから、実に5分近くたっていました。
ご老人は一言も、痛いとも言わず、多だ、妻の目の前で静かに座っていました。
顔をそむける妻は、真っ赤になっているのが、よくわかりました。
妻の携帯が、アラームを鳴らさなかったら、ずっとそのままでいたのではないかと思われるほど、静かな時間でした。
介護訪問の終了時刻になったでしょう。
それが妻にとっての唯一の逃げ道だったかのように、あたふたと支度にかかります。
「あ、あの、す、すみません。あの、今日は、あの時間が来てしまって、すみません、すみません」
「いやいや、リコさんのおかげで、腰は、何とかなる、後で医者に来てもらうんでな。リコさんは、もう、気にせずとも良いぞ」時間が来たと言い訳をしながら手早く帰り自宅をする妻の表情には、嫌悪などカケラも無い代わりに、なぜか上気したよう赤みが浮かんでいます。
何の根拠もないことではるのですが、何度も何度も謝りながら、逃げるように帰って行く妻の顔に「オンナ」が浮かんでいた気がしていました。

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