自縛の願望
2019/12/24
初めてSMの本を見たのは、中学生の頃男子生徒が教室の隅でこっそり見ているのを覗いた時でした。
女の人が裸で縛られているんです。
私にはとても信じられませんでした。
週刊誌のグラビアに載っている普通のヌード写真のモデルでさえ、あんな恥ずかしいことよくできると思っていました。
それはほとんど軽蔑そのものでした。
男の人の前で裸になるのさえ言語道断なのに、そのうえ写真を撮らせて不特定多数の前に自分の恥ずかしい姿をさらすとは、なんて恥知らずなんだろうと思いました。
それがしかも縛られているのです。
でも、その縛られたモデルを軽蔑するよりも強く感じた事がありました。
裸のまま両手の自由を奪われてしまっては、自分の意志で服を着る事はおろか、自分の恥ずかしい部分を隠す事も出来ません。
普通のヌード写真ならシャッターを切る瞬間だけポーズを作ればいいのですが、縛られてしまってはずっと裸のままでいなければなりません。
もし、カメラマンの人達が襲い掛かってたらどうするのでしょう。
それは無いにしても、撮影の合間の休憩時間とかそのままほっておかれてもどうすることも出来ません。
女の人が裸のまま縛られてしまうということが、とても大変なことに思えてなりませんでした。
それからと言うものいつもそのことばかり考えているようになりました。
そして決まってドキドキするのです。
友達とセックスのことを話しているときのとはまた少し違うのです。
そのドキドキの正体が知りたくてSMの本が欲しかったのですが、とても本屋さんで買うことは出来ませんでした。
仲の良い友達にもこのことだけは秘密でした。
ひとりで考えているうちに、自分も縛られてみたくなっていったのです。
テレビの時代劇などで女の人が後ろ手に縛られている場面などをみるとドキッとしてしまうのです。
もちろん着物を着た上から縄を掛けられているのですが、私の目にはいつか見たSM雑誌の写真が浮かんでしまうのです。
特に悪者に捕まった娘が悪者の親分に「この娘を縛り上げろ。」なんて言われているのを見ると、いつのまにか両手を背中に回していたりしたものでした。
私の縛られたい願望は確実に強くなっていきました。
でも、誰かに「裸の私を縛って」とお願いするなんて出来る訳ありません。
自分で自分を縛るしかない、結局そこに落ち着いたのです。
【自縛の第一歩】夜遅く両親が寝静まった頃、私は部屋のドアに鍵を掛けて自縛に挑戦しました。
まず、着ていたパジャマを脱いでパンティ一枚の姿になります。
初めはガウンの紐を使いました。
体の前で両手を縛るのはそんなに難しくありません。
手首に巻き付けた紐の片方を手に持ってもう片方を口にくわえてひっぱれば良いのです。
こうすれば手首は固く縛られます。
もう両手をいくら動かしてもほどけません。
何かすごくいけない事をしているような興奮が沸いてきました。
そして壁の前に立ってその手を頭の上に持っていくと、裸のまま両手を壁のフックにつながれて晒し者にされているような気分になれるのです。
最初の内はこれでも興奮できたのですが、すぐに物足りなくなりました。
実際につながれている訳ではありませんから拘束感が無いんです。
それに本当は後ろ手に縛られたいのです。
でも、後ろ手となると口を使って縛ることも出来ず、どうしても手首にまわした紐が弛んでしまってうまくいかないんです。
学校でも家でも何か良い方法は無いかとそればかり考えていました。
そして何か思い付くとすぐに試していました。
授業中に名案が浮かんだ時などはもう早く帰りたくてどうしようもなったものでした。
でも、やっぱり後ろ手に強く縛る方法は見付かりません。
後ろ手が駄目なら前でもいいからもっと拘束感のある方法はないかと考えて、ひとつ思い付きました。
それは、ベットの頭の上の板に縛った両手をつないでしまう事でした。
さっそくベッドの上で裸になりいつかのように前で両手を縛りあらかじめベッドに結んであった紐にその両手を蝶結びにしました。
縛られた手でその作業を行うのは思ったより大変でしたが、ほどく時のことを考えると固結びは避けたほうが良いと思いました。
そして、仰向けになりました。
もう起き上がる事も出来ません。
今家の人がきて私の部屋のドアを開けても、私はこの恥ずかしい姿を隠す事は出来ません。
パンティは付けているもののひとりでこんなことをしているなんて、やっぱり変態ですよね。
両親にも絶対に秘密でした。
【両手吊り】ベットの上も良いのですが、どうしても遊びの感が強すぎてもう一歩迫力に欠けました。
それで壁のフックにつながれる方法は無いかと考えていました。
そんなある日の事、映画の一場面で女の人が腰巻き一枚の姿で両手を高く吊られリンチされるシーンを見ました。
それがとても印象に残り、私はその夜いつものようにパンティ一枚で両手を前で縛り、部屋の真ん中でつま先立ちになって両手を頭上に大きく延ばしました。
これでも吊られているような気分にはなれるのです。
でもやっぱり拘束されている訳ではありませんから、物足りなさを感じずにはいられません。
私はどうしても本当に吊るされてみたくなりました。
そのためには私の体重を支えられるだけの梁か何かが必要ですが、私の家には適当な梁がありません。
学校の体育館ならちょうどいい鉄骨の梁があるのですが、まさか学校で裸になることもできません。
あの鉄骨に裸のまま吊されたらどんなだろう、と目にする度に恨めしく感じていました。
そんなある日のこと、ふと気が付いたのです。
私の家は道路をはさんで畑を少しやっていて、その奥に古い物置が有りました。
あまり使っていない物置ですが、ここなら私を吊すに十分な梁があるのです。
私はさっそく実行しようと思いました。
でも、いざ物置へ行ってみると自分の部屋で裸になるのとは訳が違います。
しかもこの物置は中から鍵が掛からないのです。
そんな所で裸になるのはやっぱりスリルがありました。
それでも私は、いつかのようにパンティ一枚の姿で両手を縛って、梁から吊るしておいた縄に結んでしまったのです。
さすがにパンティまで脱いで全裸になる勇気はありませんでした。
ここまでは予定の行動だったのですが、これではただ手首を縛った紐が天井までつながっているというだけでつまらないのです。
やっぱり足が宙に浮いていないと拘束感が無いのだと思いました。
そこで一度縄を解いてリンゴ箱にのって足が宙に浮くように縄の長さを調節して縛り直しました。
そしてそっとぶら下がったのです。
私はとうとう裸で両手吊りにされてしまいました。
こうなってしまうと誰かが急に物置の戸を明けてもすぐにはほどけません。
入って来た人が悪い人で、私が自分では脱げなかったパンティを脱がされそうになってもどうしようもありません。
私は素っ裸にされてそのまま犯されてしまうでしょう。
実際にはそんなことありっこ無いのに、そんな妄想を思い浮かべながら、裸で吊るされている自分に興奮してしまうのです。
それに、自分の部屋で無いことがもうひとつの効果を出しました。
つまり、私は誘拐犯にさらわれて来て、閉じ込められた物置の中で無理やり恥ずかしい姿にされているという状況を想定させるのです。
誘拐犯達は私を恥ずかしい姿に拘束しておいて酒盛りを始めました。
それから私の唯一身につけたパンティを誰が脱がすか話し始めました。
そしてとうとう丸裸にされてしまった私を犯す順番を決めているのです。
私はその会話の一部始終を一糸纏わぬ姿のまま脅えながら聞いているしか無いのです。
(つづく)