嫁は短大の先生のセックスドールだった
2017/07/27
もう数年前のことになりますが妻が突然、「もうあなたに黙っていられない」と泣きながら告白してきました。
妻と私は同い年です。
妻との交際はお互い学生の頃からで、初体験は高3。
もちろん二人とも処女と童貞でした。
同じ高校卒業後、私は東京の大学に。
妻は田舎の短大に進みました。
遠距離恋愛になってしまい、卒業したら結婚しようと誓い、私が東京。
妻は田舎(場所は一応伏せます)と離れ離れで文通と電話でつきあっていました。
妻の告白はその間のことでした。
妻の話は、短大時代に知りあったA先生と放課後ドライブに誘われキスされてしまったというのです。
A先生のことは文通で聞いていました。
40代くらいのすごく尊敬出来る先生で、とってもいい人だよというようなことを書いていたと覚えています。
私はキスされたということを聞き逆上しました。
しかも年齢も20以上もはなれているようなオヤジに。
そもそもなぜドライブなんかするのか。
妻は高3で私と経験したものの、根は純情で非常にクソまじめな女でした。
女の子同士のHな話でも「真紀(妻の名)はまだ早いから(笑)」と外されたこともあったそうです。
その彼女が・・・いくら尊敬してるからとはいえドライブに誘われノコノコついていくなんて・・。
ちょっと信じられないような話でした。
当然私は怒り、妻に問い詰めました。
バカじゃないかぎり誰でも聞くでしょう。
「キスだけなのか」と。
最初はそうだと何度もいい張りましたが、とても信じられません。
いろいろ話を聞いてるうちに、妻はA先生と何度もドライブし、寿司だのテンプラだのも御馳走になってることがわかりました。
それで、キスだけですむのだろうか。
何日にもわたり、しつこく問い詰めました。
「どんなことを聞かされても、もう怒らないから。真紀が秘密を持ってるということのほうが嫌なんだ」などと説得して。
で、やっと告白したのです。
妻とA先生とのとんでもない情事を。
変態といっていいくらいの破廉恥な行為を。
まず、車の中でフェラチオを習ったそうです。
そう、私とは経験したことのない行為でした。
彼女は当時、クンニさえ恥ずかしがって嫌がっていたので興味はあったのですが、フェラチオなんかさせたら嫌われるのでは?と思い、させなかったのです。
そこまで大事にしていたのに、習った??ちょっと呆然としてしまいました。
怒りを静め、極めて冷静にくわしく聞きだしました。
道からちょっと外れた林の中に入っていき、そこで妻はキスされました。
私のことがちらっと脳裏をかすめ、最初は拒否したそうですが今度はキスされながら胸も触られ、シートをちょっと倒され、そのままスカートの奥を刺激されなにも考えられない状態になっていったそうです。
なんでそのくらいでなにも考えられない状態に陥るのか不思議です。
そのうちA先生は「ほら、真紀のせいでこんなに硬くなっちゃった」といってズボンの上からペニスのふくらみを触らせました。
で、「出してごらん」と、いったという。
妻は命じられた通り、先生に手伝ってもらいながら、素直にチャックを降ろし、中のものを出しました。
妻の表現をそのまま書くと私の2倍はあるくらいのもので、特に先(亀頭)がこけしの頭のように大きくてびっくりしたそうです。
(私は勃起時、11センチで普通だと思うのですが、仮性包茎で、亀頭が先細りなのが悩みです)
「キスしてごらん。フィアンセとはやってるんだろ」妻は私のことも話していたらしい。
「いいえ。したことないです」というと、A先生は「じゃ、練習。いつかは彼氏も求めてくると思うからうまくしてあげられると彼氏も喜ぶよ」といわれたそうです。
とにかく妻は先生のペニスをくわえました。
自分からです。
そして、舌の使い方やらなにやらを事細かく教えられその通りにしたそうです。
よく考えると、二人とも一日学校にいてシャワーもなにも浴びてない、小便と汗にまみれたチンポだったでしょう。
それを妻はくわえてなめたのです。
妻は潔癖症のところがあり、今でもシャワーをちゃんと浴びないと夫である私にもやらせないのにどういうことでしょうか。
車の中ではそれで終って、お決まりのホテルに誘われました。
ああ。
この女はなんでもいうこと聞く女だと安心してホテルに連れ込んだのでしょう。
妻はそこでやられました。
フェラチオの続き。
クンニ。
はじめて69の形でしゃぶりあった時は、狂いそうだったそうです。
鏡でその姿がみえたので余計興奮したといっていました。
そして私の倍もあるのに痛みも感じないで、太いもので犯されたそうです。
その後、毎日のようにホテル通いか車の中で。
最初の日は家に帰ってから、私のことを思って泣いたそうですがちゃんと朝、シャワーを浴びてから登校するようになったそうです。
そう、やられると予想、いや期待してたんじゃないでしょうか。
A先生から習ったこと。
フェラチオの仕方。
69。
したことのない体位。
(私とは正常位だけでした)精液の味。
やっぱり何度も飲まされたそうです。
(妻は今でも私のは飲むのを嫌がります)オーガズム。
2日目で初めてオーガズムを知ったそうです。
それを知ってから、妻はもうA先生に溺れていきました。
本当の話はここから始まります。
妻とA先生はSMプレイのようなことまでしていたのです。
最初はキスしただけと言っていたのに、問い詰めるとホテルにいったと白状。
次々にでてくる告白にただ驚き、呆然としていました。
告白されて何日目かのとき、私は妻を更に問いただしながら抱きました。
妻は泣きながら答えます。
反省しながら、陰部を濡らし、快感に悶えながら告白していく妻。
その矛盾する姿にものすごい興奮を覚えたのです。
ここに来る皆さんならわかってくれると思いますが、この奇妙な快感。
それがなんなのかはあとではっきりと自覚します。
その日から、妻を抱くときは必ず告白させながら...というのが習慣になってしまいました。
出てくるわ出てくるわ。
次々と新しい事実が。
セックスしながら告白させると、普段より正直になんでもいうようになるのです。
下で、1回だけのあやまちじゃなく、習慣的にやりまくっていたというのもセックスしながら告白させた事実です。
更に妻はSMプレイもしていたと白状しました。
妻と先生がしていたこと。
犬のマネをさせられた。
全裸にされ首輪をつけられ、いろんな芸を仕込まれた。
チンチンやお座りや、先生のパンツを丸めて、放り投げ四つん這いで、それを取ってくる。
「御褒美にフェラチオさせてもらったの」と妻はいいました。
「フェラチオさせられた」じゃなく「させてもらったの」と言ったのです。
このニュアンスの違い、わかるでしょうか。
「ちんちん当てゲーム」とかいって目隠しされて、本当に犬のように四つん這いで、ウロウロ、ハアハアいいながら先生のペニスを探し回ったこともあったそうです。
やっとのことで探し当て、ちんぽを口でくわえられたときは、本当に嬉しい気持ちがこみあげ、涙を流しながらしゃぶりまくり、御褒美に後ろから犯してもらったということでした。
オナニーも強要されていました。
もちろん、私と付き合っていたころはオナニーの経験など一切なく、先生にはじめて教えてもらったといっていました。
目の前でオナニーさせられるのは当然。
衝撃だったのは、例の犬遊びで使った、汚らしいパンツを妻に持って帰らせ、それを使ってオナニーしなさいと命令されたことです。
妻は自宅で、先生のパンツの匂いを嗅ぎながら、オナニーしたそうです。
男が女の汚れたパンティの匂いをかいでオナニーしたりする心理はわかりますがまさか、女までそんな性癖があるとは思いませんでした。
いや、私には清潔さを求めるので(セックスの前は必お風呂)妻のそうした行動はA先生に対してだけ。
特別ということでしょうか。
「他の男のパンツを嗅いでオナニーしたのか。それで興奮したのか」と聞くと「うん、興奮したの。先生のだから。先生の匂いだったから」妻はあえぎながら答えていました。
「変態女!オナニー女!おまえは先生の命令だったら、どんなことでもするのか」といって責めると、妻はものすごい声でなきじゃくり「しちゃうの!変態女になっちゃうの!先生!A先生!」と何度も先生の名前を叫びながらいってしまいます。
私もそんな妻を見ると、嫉妬と怒りが胸を締めつけるのにすぐにいってしまいます。
いつしか、そうやってセックスするのが夫婦の暗黙の了解になってしまった感じでした。
そんなある日、どのくらいたたでしょうか。
ある出来事がおきました。
妻が新宿に買い物に行ってきた帰りです。
「今日・・・たぶん、A先生を見たよ。電車で」といってきたのです。
A先生は今も田舎の学校にいるはずです。
なにかの用事で東京に来た?「声をかけたのか?」
「ううん。ちょっと離れていたし。でもA先生だよ」私にとんでもない考えが湧いてきたのです。
妻は短大を卒業、幼稚園教諭として就職しました。
しかし、その後もずっと先生とは続いていてなんと更に、私が大学を卒業し、就職してから2年後、私と結婚し上京する1ヶ月くらい前まで続いていたそうです。
バカですね。
夏や正月は必ず私は田舎に帰って彼女を抱いていたのにまるで気がつかなかったのです。
全くおかしい素振りすらありませんでした。
いや、ひとつだけ記憶にあるのは、いつかの夏に帰郷したとき、彼女は空港まで迎えにきてくれたのですが、その時、真っ赤な顔をしていたのです。
あれ?暑い中、走ってきたのかな?と不思議に思ったのを覚えていて、その夜、空港近くのホテルで一泊したのですが、妻はクンニの時など、ちょっと嫌がる素振りを見せたのです。
「だいぶしてないから、恥ずかしい」とかなんとか言っていていました。
のちに聞くと、なんとその日は昼間、先生と逢って抱かれていてその足で夕方、空港に向かったということでした…