人妻・ゆかり(2)

2018/04/16

神崎の口調は穏やかで、毒気が無くて、声だけ聴けばとても善良な人間にさえ感じられる。
太股をねっとりと撫で回す手つきとなんとも不釣合いで、ゆかりにはそのギャップが薄気味悪く感じられた。
「静かに、息を殺すように静かにしていていただければ、 30分から一時間程度で終わる仕事ですよ、奥様。 伊東さんのときは少し長引いて、70分かかりましたが」さらりとした神崎の言葉に、ゆかりは反応する。
「伊東さん!?」言ってから、考えてみれば当然のことだとゆかりは思った。
伊藤夫人もこうして、我が子を整ったレールに押し上げたのだ。
「伊東さんのときは、隣の部屋に旦那様と娘さん二人が居て テレビを見ていました。伊藤さんは自分の親指を噛んで、 声を出さないようにこらえて下さいましたよ」 神崎の右手がスカートをまくりあげる。
白く長い脚が冷えた空気に晒された。
膝からふくらはぎにかけての芸術的な曲線と、うってかわって細い足首。
神崎は感に堪えないといった表情で、ゆかりの脚を見つめる。
「綺麗だ」まるで深秋の星空を見上げて呟くような、感嘆の言葉。
わき腹を抱いていた左手で、神崎はゆかりを抱き寄せた。
そして、彼女の「綺麗な」脚をまた右手で撫でる。
ゆかりは思わず男の顔を見る。
お互いの顔が10センチの距離にある。
眼が合った。
神崎の表情は飽くまでも変わらない。
「何か異論でも?」と言わんばかりの冷徹な目。
「奥様、すいませんが舌を出していただいていいですか?」 「した?」 言ってから「した」とは「舌」のことだと気付く。
「口を開けて、舌を出せるだけ伸ばして下さい」 「な……なん」 「奥様に私の切り札を渡すのですから、私も奥様の全てを堪能したいんです」この瞬間、冷厳な神崎の眼に、はじめて獣めいた肉欲が滲んだ。
「ぁ、やだ……嫌です」 「許可を求めてはいません。指示しているのです」 「余り時間はありませんよ。どうかお急ぎを」 言葉とは裏腹に、焦りを感じない声。
ゆかりは神崎から眼を逸らす。
みし、と音がした。
二階からだ。
夫の存在を再び思い出し、彼女は動揺する。
唇を開いて、ゆっくりと舌を出した。
舌先が震えているのが自分でも分かる。
「もっと、全部出して下さい」 神崎がそう言って、ゆかりのわき腹を撫で回す。
彼女は意を決して、ずるり、と舌を出し切った。
それを見て、神崎は溜め息のような笑いを浮かべる。
まるで失笑されたようでゆかりは苛立つ。
自分でやらせておいて、と。
「乾いているかと思ったんですが、舌先も唇も濡れて光っていますね、奥様。 普通はもっと緊張してからからに口の中が渇いているものです」 神崎の右手が、彼女の頬を撫でた。
「期待しているんですね」 反論しようとしたゆかりの舌に、神崎がしゃぶりつく。
パソコンのキーボードを叩きながら、仁科明秀は憂鬱だった。
それは、自宅で仕事をしていることが原因ではない。
仕事を口実として逃げた自分に対しての苛立ち。
妻の前で別の男に言い負かされた自分に対しての情けなさ。
息子のために何もしてやれない不甲斐なさ。
彼を憂鬱にさせるのは、自分に対しての失望感である。
カシャカシャと、打鍵の音が静かな部屋に虚しく響く。
階下からは、音がほとんど聞こえない。
声を潜めて話しているのだろうか。
それともあの男はもう帰ったのだろうか。
モニターに集中出来ない。
しかし、下に降りて再び問題と向き合う覚悟がなかなか生まれなかった。
苛立ちだけが募っていく。
窓を開けて、それから引き出しから出したタバコをくわえる。
裕樹が生まれたときに、妻に「もう二度と吸わない」と誓ったものだ。
カートンで買っていたアメリカンスピリットのメンソールを、あの日ゴミバコに叩き込んだのを覚えている。
煙が窓から逃げていくのを眼で追いかけながら、 彼は答えのない思惟を巡らせた。
下に降りるべきか。
彼は迷う。
「むっ……ふ……は、っ」 神崎の舌が、ゆかりの咥内の粘膜を舐めていく。
口の中を洗浄するように、それは執拗だった。
愛息の寝息が、一瞬止まったような気がして、ゆかりは動揺した。
更に、天井の軋む音。
パニックになりそうになる。
「こうやって、体に触れるとね、色々なことが分かるんですよ、奥様」 最期に唇と唇を合わせるようにしてから、神崎は顔の目の前で囁いた。
「舌の動き、眼の動き、肌の動き、肩の動き、息の響き、声の響き。 全てが、奥様の体の全ての反応が、物語っている」 「何を……、何がですか」 「恥じることではありませんし、悪いことでもありません。 ただ、奥様の肉体は心理や心情とは違う反応を示している」そこで神崎は、また人差し指を天井に向けた。
「心から不愉快で嫌悪を抱いている人間は、もっと痙攣的な強い反応を示すものです。 どんなに声を出さないように、暴れないように、と自分に命じても 本当に嫌な人間は必ず身体にその反応を表すものです」 男の自分勝手な理屈に、ゆかりは呆れたような苛立たしいような奇妙な気分にさせられる。
この男は何を言っているのか。
「空腹のときに食べ物を見ると、自然と唾液が口の中に溢れるように 奥様の身体はね、男性を求めているんです。それが夫であれば良かった。 そうすれば何も問題なく受け入れられたのに」 「一ヶ月、二ヶ月、いやもっと、半年くらい振り、ってところでしょう?」 「違います」ゆかりは否定しつつ、最期に夫に抱かれたときを思い出す。
確かに、三ヶ月か四ヶ月は経っている。
神崎は再び、ゆかりの身体を抱き寄せた。
吐息が首筋にかかる。
思わずびくん、と身体が動く。
耳たぶの裏に、生暖かい舌が当たる。
「嫌」と彼女が言うのと同時に、「ぅ?ん……」という幼い声が聞こえた。
「お静かに願います。息子さんに見せるには酷でしょう……。 ジョン・レノンとオノ・ヨーコじゃあるまいし。 それにしても、奥様、綺麗な肌ですね……素晴らしい」お静かに、と言いながら神崎は、ぴちゃぴちゃと音を立てて うなじから耳の裏、そして頬を嘗め回した。
ゆかりは奥歯を食いしばり、声を出さないようにする。
それでも「く」だとか「ぅ」という呻きは漏れた。
彼女の背中に回っている神崎の左手が、背中を撫で回している。
そして、脚の上に置かれた神崎の右手は、下着の上から ゆかりの局所に触れようとする。
反射的に「触らないで」と言いそうになった。
「もう一度、舌を出して下さい」 神崎が当たり前のように言う。
今度は舌を出さなかった。
口を閉じたまま、顔を逸らす。
そうしてはいけない、と分かっていても、従順になれなかった。
まださっきの、神崎の舌の味が口の中に残っている。
「今さら反抗するなんて……でも嬉しいですよ、そういうのが、私は」 神崎は、ゆかりの閉じた口に吸い付こうとする。
彼女は顔を左右に振って逃れようとしたが、身体を抱き寄せられている上に音を立てないように気を遣っていたため、ほとんど意味が無かった。
「反抗されたり、抵抗されるのは良くあることです。当然のことです。 素直に受け入れられる人の方がおかしい。それは正常です。 そして……そういう受け入れることを拒む人の中に、入り込むのが 私の愉しみであり悦びなんですよ」 神崎は台本を朗読するように、長いセリフを一息で言い切った。
ゆかりの二の腕に鳥肌が立つ。
中に、入り込むのが、愉しみで、悦び。
「脚を広げてください。早く弄って欲しいって言ってますよ」 「言ってませんっ」 「奥様の核の部分が、そう言っているんですよ」 神崎はそう言って笑う。
笑いながらまたゆかりの唇を舐める。
少し開いた口をむしゃぶりつく。
舌を捻じ込む。
唾液でゆかりの咥内を汚し続けた。
そして、下着の上から、ゆかりの文字通りの「核の部分」に触れた。
神崎の人差し指と中指は、ゆかりの性器の亀裂を下着の上からなぞると、それから陰核に「触れないように」蠢いた。
当然、陰核をこね回されることを予想していたため、ゆかりは期待していたわけではないのに、肩透かしを食った思いをする。
そしてしばらくしてから、神崎は「焦らして」いるのだと気付いた。
焦らされれば女の身体が求めだす、などと安物の官能小説のようなことを本気でこの男は信じているのだろうか。
半ば呆れたような思いが過ぎる。
だが、そこで初めて、ゆかりは自分の体の異変に気付いた。
痒いところに手が届かないような、もどかしさが身体を包んでいる。
足がかゆいのに、靴を脱げないような、掻き毟りたいという強いもどかしさ。
だが、痒いわけではない。
熱っぽい衝動が身体中を跳ね回る。
陰核がむずむずとして、腰が落ち着かない。
脚を動かしたくなる。
神崎の舌が踊る口の中に、彼女自身の唾液が溢れていくのが分かる。
神崎は顔を彼女から離した。
唾液が糸を引いたので、彼は苦笑してそれを手で払う。
「良かった、悦んでくれているみたいで」そう言いながら、男はまた指先で陰核の周囲を撫でる。
「悦んでません。勝手なことを言わないで」 「鼻息が荒くなっていますよ、奥様。落ち着いてください」 神崎は笑う。
いびきが聴こえた。
裕樹は正座して机に突っ伏した姿勢で眠っている。
「良くあの格好で熟睡できるなあ」と神崎は笑った。
男の左手が、衣服の上からブラジャーに触れた。
乳頭の場所を探るように、指先で表面を撫で回す。
右手は相変わらず「焦らし」を続けていた。
「ある程度、性交の回数を重ねた人の方が、焦らされるのに弱くなります」 理科の教師のような口調で、神崎は言う。
「なぜなら、回数を重ねているほど、こうされたらどう反応するかを 身体が覚えてしまっているからです。パブロフの犬の話のように」 「犬と同じにしないで下さい」…

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