クラスに「ともみ菌」というのが流行りだしました

2018/03/28

私の幼少の頃から施設を出るまでの話を書き込ませていただきます。
私が暮らした施設とは「養護施設」、身寄りのない子供や、虐待、劣悪な生活環境
に置かれている子供が暮らす施設です。
私は物心ついた時から施設にいました。
ぼんやりと覚えているのは、周りに何人も友達がいて、お世話をしてくれる人を「せんせい」と呼ぶのが普通だと思っていました。
私が暮らす家(部屋のことです)を出れば大きいお兄さんやお姉さんもたくさんいて
遊んでくれる人もいれば、近寄りがたい雰囲気の人もいました。
何人もの「せんせい」が入れ替わりでお世話してくれるのですが、その日によってすごくくつろげたり、逆に不安でたまらなかったりでした。
私が自分の生活環境が普通と違うと気付き始めたのは、幼稚園に通い出してからです。
これは大きくなってから先生に聞いたのですが、その施設の子は小学校に入学する前に
1年間市立の幼稚園で施設以外の人と接する練習として、県や市の補助で
無料で通えるようになっていたそうです。
幼稚園が終わる時間には家の人が迎えに来てくれます。
友達は「お母さん」とか「ママ」とか呼ぶのに、私と、それから同じ施設の子は「せんせい」と呼んでいることに何か変だなと思い始めました。
5月の連休明け、幼稚園でお絵かきをした時、友達は「ママとパパとお買い物に行ったの」とか
「○○へお出かけしたんだよ」とか言いながら描いているのに私達施設の子は
「せんせいのおひざでビデオみたよ」とか「○○ちゃんとお庭(施設の中庭)であそんだの」とかそんなのばかりでした。
他の子からは「なんでおうちに先生がいるんだよ~?」
「え~?どっこもお出かけしなかったの?」などの声。
でも私は逆にみんなの話がわかりませんでした。
「せんせいはみんなやさしいもん」という思いがあったからでしょうね。
だけど目に見えて他の子との違いを感じ、そして羨んだことがありました。
制服はなかったので各々好きな服装で通園していたのですが、友達は流行りのキャラクター
のイラストが入った服や新品の服を着せてもらっているのに(まあ今ほど豊富ではないですが)
私達施設の子は「せんせい」が用意してくれるお下がりの服ばかり。
なんでかな?
「せんせい」は新しい服を出すとき「倉庫」に行きます。
私達も一緒に行って選ばせてくれましたが
いくら探しても幼稚園の友達が着ているような服なんて見当たらない。
施設と幼稚園の往復以外に外に出る機会がなかったので、店に買い物にいくという
概念がなかったのでしょうね。
幼稚園の頃は私も友達も幼かったので、それ程違いを気にすることはなかったのですが・・・
小学校に入学すると色々な違いが顕著に表れ、そのことに気付き始める子達が増えてきました。
それはもちろん私達にしても同じでした。
なぜなら小学生になると同時に
今まで暮らしてきた部屋を出され、小学生以上の子供が暮らす部屋に移されたからです。
それまで母親感覚で慕ってきた「せんせい」は他の小さい子達の「せんせい」になり
私には別の「先生」が担当になったのです。
また、一緒の部屋で過ごしていた子達も
男女別にフロアーが分けられ、フロアーごとでも各部屋に振り分けられ同じ施設内でも別れ別れにされたのです。
小学校は施設の隣でした。
いつも一緒に帰る友達の一人が「いいな、ともみちゃんはお家がすぐ隣で」というと別の子が「ともみちゃんはね、パパもママもいないから
ここにすんでるのよ。
」といいました。
悪意は無かったのでしょう、でもその時の他の友達の反応が衝撃的で、今でも忘れられません。
「パパ?ママ?お母さん?どんなの?先生とは違うの?」
急に友達との間に溝が出来たような気がした瞬間でした。
でも違いがあったのは施設の子と一般家庭の子の間だけではありませんでした。
同じ施設の子でも、ちゃんと親がいる子(生活能力が無い為入所してる、又は 親戚が養育は拒否するが仕送りぐらいならする)という子は、連休などは外泊したり、一緒に出かけて好きなものを買ってもらったり、お小遣いをもらったりしていました。
でも私は親族がいなかったのでそういう体験もありませんでした。
もう少し大きくなった頃に聞かされたのですが、私はいわゆる「捨て子」というやつで
赤ん坊の頃に保護されて乳児院に入れられたのたそうです。
私の本名はその時私が拾われた
場所にちなんで付けられたとも聞かされました。
私は住むところも食べるものにも不自由はしてない。
でもなにかすごく大切なものが無い。
ただ、同級生や上級生などからの嫌がらせが始まったのはそのあと少し経ったころです。
ある日教室に入ると数人の子が「臭え~!」と叫んだのです。
「お前風呂入ってないんだろ!」
「市場で残り物の野菜とかもらって食ってんだろ!」
もちろんそんなはずはありません。
施設でウサギを飼っていたのでその餌にするクズ野菜を
もらいに行くことは当番制でやっていたのでそのことをいってるんだと思いましたが。
そのうちに、クラスに「ともみ菌」というのが流行りだしました。
その頃の一年生は4クラスあり、それぞれのクラスに施設の仲間は一人ずつ振り分けられていましたが
他の子達も同じような誹謗中傷を受けていたようでした。
一度私の持ち物や机に触れると「うわ!ともみ菌がついたぞ!」と大騒ぎ。
「私は何も汚くないのに・・・」見かねた一部の友達が担任の先生に知らせても
先生は下校前の「終わりの会」で「自分が言われていやなことは、友達にもいっちゃいけないよ
(細かく覚えてないですが、そんな意味の短い話でした)」と話しただけでした。
確かに洗濯物は施設に暮らす120人余りの分を、3人の当番の先生が流れ作業で洗っていたので
丁寧な仕上がりではなかったように思います。
だけど高学年や中学生のお姉さん達は
さすがにオシャレに気を使っていたので、洗濯やヘアスタイルも自分の自由にしていました。
洗濯はどうにかできるけど、オシャレに必要なアイテムなどは倉庫にはありません。
でも、身寄りのある子達はある程度の仕送りをもらっていたのでそれも可能でしたが
私にはそんな人いなかったので、お下がりや他の子の使い古しを使うしかありませんでした。
一応施設からもお小遣いを月に一度もらっていました。
でもそれは担当の「先生」に管理され、何に使うのか理由を言わなければ使えないお金でした。
欲しいものがあって先生に言っても「本当に欲しいものなの?どうしても要るの?」と何度も聞かれました。
それでいて身寄りのある子がその人からもらった金品にはノータッチだったので
同じ施設の中でも不公平感がありました。
私自身が成長するにつれ、そんな嫌なこと、辛いことが見えてきました。
低学年の間は、先生の許しがあれば学校の友達を施設に招いたり、他の子の家に遊びに行ったりも出来ました。
特に幼稚園で一緒だった子達は仲良くしてくれました。
だけど、その子達の保護者はよくは思っていなかったのでしょう。
友達の誕生日パーティーやハイキングには一度も誘われたことがなかったからです。
一人の友達が自分の誕生日パーティーに
他の友達を誘っているとき「明日ゆかちゃんのお誕生日なの?パーティーするの?」と聞いたら
「うん。ママが『ともみちゃんはプレゼント買えないから、呼ばなくていいのよ』ていったの。
ごめんね」
幼心にも感じる差別でした。
施設に帰って先生に話しても「ともちゃん、本当にその友達のお誕生日をお祝いしてあげたいなら、買ったプレゼントもってパーティーに行けなくてもともちゃんがその子の絵をかいてあげたりして学校で渡してあげたら?」
先生は私の心をわかってくれてない。
私はその子のお家に招かれなかったことがショックだったのに。
「先生」と「ママ」は違うんだということを思い知らされました。
施設の生活は学校の時間割みたいなもので、みんな一律に行動が決められていました。
自由時間は十分にありましたが、食事・宿題・おやつ・入浴・消灯なんかは全員統一で
学校で他の友達の話を聞けば聞くほど、私達は監視されて生活しているように感じはじめました。
差別やイジメの原因を作っているのは大人でした。
学校、又は友達の家で何かが無くなると確証もなしに施設に怒鳴り込んでくるお母さん達が結構いました。
そんな時先生達は私達を信じてのことなのでしょうけど、相手のお母さんを部屋に入れて私や同室の子達の
持ち物を片っ端から物色し、中には見つからなかった時に「誰にあげたの!?」とあくまで
こちらが盗んだという前提でしかみていませんでした。
すごく悔しかった。
そんな出来事が続くと、同級生の間でも「ともみ(又は他の施設の子)は泥棒だから
大事なもの見せたら盗られると」とか、先生やお姉さんがシャーペン…

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