サークルの大学生と 参
2017/11/02
5十月になった。
後期が始まっているが授業は殆どなく、
構内で知り合いに会う機会は減っていた。
俺は、相変わらず卒論に取り組んでいて、
土日も、大学図書館に足を運んだ。その日も、日曜日で、
いつものように
午前中から図書館で調べ物やコピーを取ったりしていた。
午後には用事も片付いて、
大学最寄り駅の近くにあるマクドナルドで遅めの昼食を摂る事にした。
二時を過ぎているせいか、店内は空いていた。
窓際の席を選んで座る。ガラスの向こうに行き交う人を眺めながら、
ハンバーガーを噛り始めた。
夏の暑さはすっかり遠退いて、道行く人達は長袖が多い。
テイクアウトにして公園とかで食べてもいいな、なんて考えていた。
ぼんやりとしながらも半分は卒論の事が頭にあった。
いつの間にかハンバーガーが片付いていて、
残ったコーヒーを飲んでから席を立とうとしていた時、
不意に肩を叩かれて振り向いた。
「やっぱり俺くんだぁー」
そう言って、俺の前の席にアヤが座った。
俺は四人掛けの席に座って隣に鞄を置いていたんだけど、
彼女もそれを真似して鞄を置いた。
シャツにジーンズという今まで見た中では比較的ラフな格好。
彼女は向かい合うと、驚いている俺に構わず、一方的に話し出した。
この近くまで買い物に出て、ちょうど食事が終わった所。
洋服を買いに行ったけど、いい物が見付からなかった。
一緒に行った友達とは食事が終わると別れた。
帰る前に、この近くにある洋服屋に一人で行ってみようと思っている。
その店に向かう途中で、
そこの道を通ったら、外から俺くんの姿が見えた。
――などと一気に語ってしまうと、
「で、俺くんは何してんの?」と訊いてきた。
俺は現状を簡単に説明する。
「じゃあ、この後、予定は?」
特別な予定はない、と答えると、飯でも行くか、と言い出した。
(今、まさに食事中なのに?)
俺は、そう訊き返すと、アヤの行きたい店に寄って、
駅まで戻って、電車で、いつも飲んでいる駅まで戻れば、
夕食にもいい時間だろう、という事だ。
彼女の昼食は軽いものだったし、
俺が今、食べたものも量が多くないから、
少し時間が経てば、お腹が空いてくるんじゃないか、と言う。
正直な所、何となく気が進まないのもあったが、
断る尤もらしい理由も思い付かない。
何か口実を考えている内に、彼女は俺の腕を取って席を立たせる。
「じゃあ、決まりね」
そう言うと、さっさとトレイやゴミを片付けてしまった。
俺は、自分の鞄と彼女の鞄を持って、後を追う。
「ありがと」
彼女に鞄を渡すと礼を言って、目的の店まで俺を案内した。
その店は、マクドナルドから
歩いて二、三分の場所にある小さな個人経営らしい店だった。
彼女は、ほんの五分くらいで見切りをつけてしまい、店を出た。
それから、駅まで戻る道すがら何軒かの店に入った。
それは、洋服屋や雑貨屋で、どれも十分ほどで見終わってしまった。
最後に、駅から一番近い洋服屋を空手で出てくると、
「今日は駄目ね」と言って不満そうな顔を見せた。
気に入った物がなかったらしい。
俺は慰めの言葉を掛けた。
そんな日もあるよ、みたいな感じで。
すると、彼女は俺を見上げる。
「まぁ、俺くんが、そう言うなら許してやるか」それから、俺達は電車に乗って、
アヤの家の最寄り駅である二つ隣の駅まで行った。
食事をしたり、酒を飲むという事になれば、
普段、飲み会が行われている駅が便利なのだが、
そこは行き慣れているので勝手がわかっている半面、
飽きてしまってもいた。
すると、アヤが、いい店を紹介すると言い出したので、
俺は、それに従う事にした。
それがアヤの家の最寄り駅近くにある店だった。
改札を抜けると、先導するように彼女が歩いて行く。
何度か送って来た時に、
この駅で降りた事はあったが、彼女の家までの往復だったので、
現在、歩いている辺りは殆ど様子がわからない。
彼女の背中を追って行くと、
何度か角を曲がった細い通り沿いの店の前で止まった。
木の大きな看板が立てられていて、
そこに毛筆で店名が書いてある。
あちこち寄っていたので、もう五時を過ぎていた。
営業時間を見ると、ちょうど、開店したばかりのようだ。
「いい感じの店だね」
「でしょ?」
俺達は揃って店内に入った。メニューを見ると、和食を中心にした居酒屋という感じ。
鍋物もあったし、酒の種類も豊富だった。
ビールと幾つかのつまみを頼む。
早い夕食だったが、
歩き回った上に時間が経過したのもあってか、御互い勢いよく食べた。
四人掛けのテーブルを埋め尽くした皿が次々と片付いていく。
俺達は、向かい合って箸を伸ばし合った。
食事中は、彼女の買い物話と大学の話をした。
時々、卒論や研究関係の話になって、
ここは、こうじゃないか、みたいな議論が交わされた。
それから、
彼女が俺の個人的な事を訊いてきたので、それに答えたりした。
出身地や家族構成や趣味などだ。
サークルの話は出なかった。
俺からもしなかった。
エリの話も出なかった。
そんな感じで時間が過ぎた。
彼女は自重しているのか、酒を二、三杯しか飲んでいない。
これは、普段の彼女からすると、想像を絶する少ない量だ。
途中、彼女が提案した飲み比べを、
俺が断ったのも原因かもしれない。
それに、あの男がいないから酔う理由もないのだろう、と思っていた。
もう大分食事も進んで、あと一品か二品で終わりだろうか、
と思っていた頃、彼女が俺に言った。
「ねぇ……携帯見せてよ」
俺は不審に思ったけど、ポケットから携帯を取り出した。今まで、何度か思った事だが、彼女に頼まれると何となく逆らえない。
威圧的だ、というのではない。
何かあっても何となく許してしまえるような、そんな雰囲気がある。
例え、トラブルに巻き込まれたとしても、
あの猫目で「ごめんね」と上目遣いに言われると
仕方ないな、って思ってしまうのだ。
だから、だろう。
何度か彼女の家まで送らされる羽目になっても、
次に会った時に謝られれば水に流してしまっていた。
愛情とも違うし、憎めない奴、という言葉でも片付かない。
きっと、エリの方でも、似たような気持ちを持っているのではないか。
それは、俺の勝手な想像だったが。
しかし、そうでなければ、エリが、
あれだけアヤの世話をするのが説明出来ないような気がした。
それとも、俺の知らない事情があるのだろうか。俺が携帯を見せるようにすると、
彼女は素早く対面から手を伸ばして、それを取り上げた。
「おいっ」
そう言って取り返そうとすると、
俺の届かない所で携帯を触り出した。
「何する気?」
別に見られて困る訳ではなかったけど、気分のいいものではない。
すると、彼女は含み笑いをして言った。
「私のアドレス入れてあげるよ」
「えっ……」
「何?……何か文句あるの?」
少し睨まれる。
僅かに頬が赤い。
「いや、そうじゃないけど……」
(だったら最初から、そう言えばいいのに……)
心の中で呟いたが、彼女の好きにさせた。
それから、
彼女は俺の携帯のボタンを何度かいじったりしていたけど、
急に変な声を上げて俺の方を見た。
「何これ?」
「何?なんか変?」
俺は携帯を覗き込むように身を乗り出す。
「あんた、友達いないの?」
憐れむような眼差しを向けてくる。
俺は意味がわからず首を傾げた。
すると、彼女は携帯の画面を俺の方に見せて、言った。
「だって、これしか登録ないじゃん」
画面には俺の電話帳が映し出されている。
彼女が言うのは、その登録数が少ないと指摘しているのだ。
「えっとぉ……実家?とバイト?と……あと男?
……これ全部合わせても十件くらいしかないじゃん」
そう言って、頻りに携帯を操作している。
「えっ?……シークレットにしてるとかじゃないよね?」
俺は首を振った。
何度かボタンをいじっていた彼女も、漸く顔を上げた。
「俺くんって、本当に現代人?」
彼女の瞳が愉快そうに光った。俺は、その理由を簡単に説明した。
少し前に携帯を失くして、バックアップもなかった事。
それ以降、新しく知り合った人が少なく登録する機会もなかった事。
自分の行動範囲が大学、バイトと狭い事。
それらの理由で、
あまり携帯を使わなくても不便を感じない事などを話していった。
そう言えば、
最近になって、サークルの主催者の男とアドレスを交換したくらいで、
それ以前となると、ちょっと思い出せない。
俺の話が終わると、彼女は呆れたように笑い出した。
「そうなんだぁ……
いやぁ、私さ、こんな登録が少ない人、初めて見たから、
ちょっと驚いちゃって…………ごめんね」
両手を合わせて軽く頭を下げる。
それから、口の中で何度も「そっかぁ」と呟いた。
そして、何度か頷いた後、
「じゃあ、この携帯は、私が女子一号だね」と言った。
彼女の顔は、
徒競走で一位になった時のような、ある種の誇らしげな影があった。
きっと、そんな下らない事でも『第一号』という響きに、
何かしら彼女だけがわかる優越感があったのだろう。
「そうだね」
「俺くん、これからは遠慮なくメールでも電話でもしてきたまえ」
「はいはい」
「……はい。これ私のアドレス入れておいたから、後でメールしてよね」
「うん」
「それから、パソコンもあるでしょ?」
「持ってるよ」
「そっちのアドレスも送っておいてね」
「何で?」
「そっちの方がいい場合もあるでしょ?私も後で送るからさ」
「わかった」
俺は、そう約束をして携帯を受け取った。店を出ると、すっかり暗くなっていた。
夏は、もう遠い昔だ。
念の為、彼女を家まで送って行った。
何度も通っただけあって慣れ…