8歳から18歳まで

2017/10/21

きっかけは父親が交通事故を起こし、運転していた父と車に同乗していた兄が死に、奇跡的に助かった母も寝たきりになったことからでした。
しかも事故発生責任は父にあり、相手の家族に対する損害賠償も発生し・・・・・・・、当時歳だった私にそんな能力はありません。
よく覚えていませんが、私はあるお金持ちの家に引き取られて行きました。
後で知ったことですが、その家は損害賠償も母の面倒もすべて見てくれていたのです。
そう、私があることをすることと引き換えに・・・・・。
それは、その家に来てから半年ぐらい経った、私が歳になる少し手前のことだったと思います。
死んだ父より幾分か年上の人だったでしょうか。
私が引き取られていった大きな家にその人はやってきたのです。
後で分かったことですが、その人はその大きな家の主人の息子でした。
その人は私を見るなり「この子かぁ、可愛いじゃないか。こりゃいい写真が撮れるぞ」そう言って私の体をジロジロ見ていたイヤらしい目は今で覚えています。
その時私は歳ぐらいのその家のお手伝いさんのような人に世話されていたのですが、その人に「我慢するのよ。すぐ終わるからね」そう言われ、その家のある一室(今思えば、写真スタジオ)に入れられました。
やがてやってきた男の人がカメラを持って入ってきました。
最初は普通に写真を撮るだけで、私は言われるままに、ニコニコしながらポーズを取っていたのですが・・・・・。
やがて男の人は私に服を脱いで下着だけになるように言いました。
私は当然いやだと言いましたが、「お母さんが死んじゃってもいいのかなお嬢ちゃんもこの家にいられなくなるよ。そうなったら住む家がなくなるよ」そう言って脅してきました。
これも後で分かったことですが、私の裸の写真を撮ることと引き換えに、その家は母の面倒を見、私を養うことを約束したそうです。
そして母にそれを泣く泣く承諾させたことも・・・・・・。
私はそんな話を出され、仕方なく服を脱ぎ、下着だけの姿になりました。
男の人は私にいろんなポーズを取らせ、バシャバシャと写真を撮っていきます。
やがてシミーズも脱がされ、パンツ枚の姿を撮られ、ついに「パンツ脱いで」と言われました。
私が嫌がると「お母さんもお嬢ちゃんも放り出すよ」そうきつく言われ、私は泣きながらパンツも脱いで素っ裸になりました。
そして何枚も写真を撮られました。
それから男の人は時々やってきて、私を裸にして写真を撮っていきました。
私の胸が少しずつ膨らみ始めた小学校年生の終わり頃からは、写真の回数もだんだん増えていきました。
私は毎回の撮影がイヤでイヤで・・・・・。
でも母の話を出しては脅し、私は泣く泣く言うことを聞いていました。
何より屈辱だったのは、毎回私が男の前で自ら裸にならなければならないことでした。
男にじっと見られながらパンツまで脱ぐのは絶えられない屈辱でした。
小学校年生ぐらいからは撮影の回数もどんどん多くなってきました。
彼は私の胸がだんだん大きくなっていく様子を撮りたかったようです。
そして彼が何より楽しみにしていたのは・・・・・。
私のアソコにいつ毛が生えてくるかでした。
、年生頃には「アソコに毛が生えてきたら、すぐに私に言うんだぞ」そう言って私に脅しをかけ、お手伝いの女の人にも、私の観察するように言っていたようです。
毛が生えてきた時、私は黙っているつもりでしたが、タイミング悪く男がやってきて撮影されてしまいました。
「うひひょーっ生えてきた生えてきた。たまんねぇ」そう言って大喜びで写真を撮りつづけました。
それから中学生になってある程度生え揃うまで、週に回というペースで撮られ続けました。
そのうち生理も始まりました。
生理のときは私が必死になって拒否したので、撮影はされませんでした。
彼もそっちの趣味はなかったようです。
中学校に入ってからは、学校の制服だったセーラー服姿やブルマー姿での撮影をいっぱいされました。
特に彼がお気に入りだったのがブルマー姿で何度も何度も撮られました。
セーラー服やブルマーを中途半端に脱がされた姿で撮影されるのはこの上ない屈辱でした。
中学校の時は本当にいやになり、何度も「お願いもう止めて」と言いましたが、母のことや、ヌード写真を学校の先生や生徒にばらまくと言って脅されました。
「今まで撮った写真を全部送ろうか「○崎美香の成長の記録です」って」中学二年生の時には、目の前でオナニーを見せられました。
「もう我慢できない」そう言って撮影に途中でカメラを置き、私の目の前でズボンとパンツを下ろし、大きくなった自分のモノをしごき始めたのです。
もちろん私は男の人の大きくなったモノを見たのはそれが始めてでした。
彼はしばらくしごいた後、「出るぞーっ」そう叫んで、私の方に向かって射精しました。
私はある程度知識があったので、それが何なのかは分かっていました。
彼はもう歳を過ぎていたので、あまり勢いはなく、彼の出した液体が私に掛かることはありませんでした。
高校生になってからはさらにいやらしいことをされました。
ある時彼はいつもの撮影スタジオではなく、私の部屋にやってきて、いきなり私を縛って動けなくしたのです。
それからの彼の行動は・・・・・・。
私のタンスをひっくり返し、下着の入っているところを見つけると、枚枚調べ始めたのです。
「やめて」私は泣きながら訴えました。
しかし彼は聞く耳持たず、「可愛いパンティ穿いてるね」とか「アソコが当たるところが黄色くなってるよ。トイレに入った時ちゃんと拭いてるかうん」とか言って、屈辱の言葉を浴びせられました。
その後彼は、私の下着を部屋中にばら撒き、私に素っ裸になるように命じ、「○崎美香、私の下着公開ヌードです」そう言っておちゃらけて、その写真も撮ったのです。
その他にも私の人間性を奪うような行為は数しれません。
ある時の撮影で、彼はまた「今日もオナニーするぞ」そう言ってズボンを脱いだのですが、ズボンを下ろしたときに彼の股間に貼りついていたものは・・・・・・。
私のパンティでした。
それはピンクの花柄で、私のお気に入りの枚でした。
彼は「びっくりしたかお前ちっちゃいパンティ穿いてるんだな。チンチン入りきらないぞ」そう言ってパンティの上端から覗いているペニスを私に見せつけました。
彼は「ああ、我慢できねぇ」そう言うと私のパンティを脱ぎ、勃起した自分のモノのパンティをかぶせてしごき始めたのです。
「ああ、パンティの持ち主本人の前でオナニーするなんて最高だ」そう叫びながら、私の体をぎらつくような目で見ながら、「うおーっ出るぞ」そう叫んでパンティの中に出したようでした。
「返してやるよ」そう言って彼は私にパンティを投げ返しましたが、私は気持ち悪くてそのパンティは捨てました。
その後も私のパンティは数枚なくなり、彼が撮影の時にズボンを脱ぐと、なくなったパンティを穿いていることが何回かありました。
その他にもいやらしいことをいっぱいされました。
アソコの毛は中学校の時と高校の時と回ずつ剃られました。
あるべきものがなくなった時は・・・・・。
本当に恥ずかしかったです。
もちろんそれも撮影されました。
高校の時に剃られた時は、その剃られた毛と、中学校のときに剃られた毛を並べられ、「どうだ、中学の時と比べるとずいぶん濃くなっているだろう」そう言って見せられました。
彼は中学校の時に剃った毛を保存していたのです。
目の前でオシッコもさせられました。
彼は食い入るような視線でその光景を見つめ、写真に収めていました。
高校を卒業するとようやく開放されました。
結局母は亡くなり、私はその家も出ました。
ただ救いだったのは、奇跡的に私は体を奪われなかったことです。
変態行為やオナニーは何度も見せられましたが、はありませんでした。
彼はただ単に写真が撮りたかっただけのようです。
その後私も何とか立ち直り、恋愛して処女を失いました。
今も付き合っている人がいます。
ただ、あの男がそのうち目の前に現れて、撮った写真をネタに脅されるんじゃないかといまだにビクビクした毎日を送っています。

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