妻の母性愛と私の初体験

2017/08/20

妻は21歳、僕は25歳で新婚1年をチョッと過ぎたところです。
僕が妻と知り合ったのは会社の入社式の時で、僕の隣に立って居たの妻でした。
その時の妻に対する第一印象派は、幼さの残る汚れ無き瞳、ただ童顔というだけじゃない澄みきった円な瞳に程よく膨らんだバスト、キュッと吊り上ったヒップのライン。
僕は身も心も吸い寄せられるようでした。
それはただ単純に年齢の違いが感じさせるのでは無く、それまで女性とは無縁の大学の研究室に篭っていたせいでもありません。
女性関係で言えば、在学中にも数々の誘惑もありましたが、僕の研究の妨げになるほど魅力的な女性が身近に存在しなかったからです。
そんな僕が彼女と交際するきかっけは、通勤電車が同じ路線で僕より一駅後に彼女が乗車して来る事に彼女が気付き、挨拶を交わすようになってからです。
でも、最初は部署が違うので(彼女は経理課、僕は新薬の研究室)話が噛み合わず、お互いに歯痒かった事を覚えています。
しかし、相性が良かったのか仕事以外の話に花が咲き、交際を口にするまでにさほど時間は掛かりませんでした。
でも彼女は僕の交際の申し出に「先に両親に会って欲しい」と頼まれ、深く考える間も無く彼女自宅へ。
そこではギコチナイ僕とは裏腹に、彼女の父親は雄弁でした。
何故なら彼女から僕の履歴や仕事の内容を聞かされていたようで、歓迎ムードで親しく笑顔で話し掛けてくるのです。
で、結局あれよあれよと言う間に僕の両親を巻き込んで、アッと言う間に結婚の段取りまで組まれてしまいました。
でも、僕としては彼女となら決して後悔しなかっただろうし、逆に結婚しなかったらその事を後悔したと思いました。
それで去年の2月にゴールイン。
それこそアッと言う間の出来事でした。
でも仕事の都合で新婚旅行には行けず、結婚して直ぐ新居での新婚生活に入りました。
それから彼女は入社10ヶ月での最速寿退社の記録を作り、新天地となる今のデザイン事務所の経理として20人余りの小さな会社に再就職しました。
ここまでは長~い余談です!
新婚旅行をお預けになった僕たちは、1月の3連休を利用して信州でスノボーを楽しもうと計画をしていましたが、それを妻の勤める会社の社長が聞きつけ、妻にこう頼んだのです。
「私の妻は7年前に、私と小学校1年の一人息子を残し他界しました。それ以降私は再婚もせずに息子と二人で頑張って来たのですが、息子には何一つ親らしい事をしてやってません。以前から他の家族のようにスキーやスノボー、海水浴にも連れて行ってやろう思うのですが、私も55歳という年齢で決して息子とスポーツ楽しむ体力など残っていません。せめて私が死んだ後に息子が苦労しないように、切り詰めてお金を残してやる事ぐらいしか出来ないのです。しかし、それでは息子が余りにも可哀相に思うのです。何故なら息子は妻が亡くなってからは一言もお母さんの話をするどころか、私の前では涙一つ見せず、自分の事は全て自分でして、決して私に負担の掛からないように気を使って来てくれたのです。それどころか、最近では掃除・洗濯だけじゃ無く、料理まで作ってくれるのです。でも、中学2年になった今でも成績はトップを維持して、親孝行な子なんです。だからお願いです。ご迷惑なのは百も承知でお願いします。息子を一緒にスノボーに連れて行ってやって下さい」
人の良い妻はそれを気持ちよく承諾して僕に報告しました。
ん~、僕としては新婚旅行の代わりのつもりでいたので少し残念でしたが、でも妻の気持ちがよく分かり、快く承諾しました。
旅行当日、僕たちは仕事を終えると直ぐに準備をして、社長の息子M君を家まで車で迎えに行き、社長に見送られながら後部座席にM君を乗せて一路信州へ車を走らせました。
車中では緊張しているのか、M君は僕達の話し掛けに「はい」「いいえ」としか答えず、しばらくぎこちない時間をしばらく過ごしましたが、パーキングで休憩した後に妻が気を利かせて後部座席のM君の横に座った事で3人の距離が縮まり、M君も重い口を開くようになりました。
最初、僕たち夫婦は亡くなった母親の事や、その後の生活の事は触れないように気遣いましたが、次第に話題がその方向に向かってしまい、気まずい思いをするかと思ったら、逆にM君から、私生活の失敗談、例えばお父さんのセーターを普通に洗濯機で洗って縮めてしまった事、ご飯が上手く炊けずに、おこげやオカユを連日親子で食べた事などを面白おかしく話してくれるので、僕たち夫婦はM君の繊細な気遣いと頭の良さに感心しました。
そんなM君も深夜3時を回ると眠気が襲ったのか、妻の膝を枕に、結局ゲレンデに到着するまでグッスリでした。
でも、そのお陰でゲレンデに到着すると初めてのスキー場に大喜び!
その時僕たちは初めてM君を連れて来て良かったと心から思いました。
僕と妻はまだ朝の5時過ぎで、まだリフトも営業していないので車で仮眠を取る事にしましたが、M君はお父さんに買って貰った真新しいウェアに着替えると、僕たちが仮眠から目覚める8時頃まで一人で雪の上で遊んでいたようで、車の周りは小さな雪だるまが沢山並んでいました。
僕はそれを見た妻が一粒の涙を流したのが印象的でした。
その後、僕たちはウェアに着替えると、M君のボードをレンタルで借り、ゲレンデに向かい、初体験のM君に手取り足取り滑り方を教えていたのですが、やはり妻の教え方が上手いのか僕は蚊帳の外になり、気を利かせた妻は僕に「M君は私に任せて、あなたは滑って来て」と言われ、疎外感は有ったものの、僕もその方が助かると思い、自分の上達を目指して頑張る事にしました。
結局一日、僕は妻と別行動を取り、夕方に合流して旅館に向かう車の中ではM君と妻は本当の姉弟のように打ち解けあっていました。
旅館に入り、夕食を済ませ、温泉からあがり寝床に入ると、先ほどまで元気だったM君は疲れが出たようで、とろけそうな目で妻に「ありがとう御座いました、今日は一日楽しかったです」と言いながら頭から布団を被り、寝たのかなぁ~と聞き耳をたてると布団の中からすすり泣く声が聞こえ、妻が布団を捲るとM君は目を真っ赤にして涙を流していたのです。
それを見た妻が「どうしたの?」と聞くと、今日の事がとても幸せだった事、残してきたお父さんが心配であること(別に子供じゃないんだから・・・と僕は思うけど)そんな事を語り始めたのです。
そんなM君の優しさにあてられた妻はM君の布団に入り、添い寝をすると「今度から私の事をお姉さんだと思って、いつでも何でも頼って良いよ」と慰め、「今夜はお母さんになってあげるから、私に甘えて寝なさい」と言いながらM君の頭を自分の胸に抱きしめたのです。
僕はそんな状況に男としてどう振舞ったら良いのか分からず、何とも体裁が悪くて寝たふりを決め込みました。
するとしばらくして隣の妻とM君の寝ている布団から小さな聞き取れない位の小さな声で話し声が聞こえ、その直後にM君が枕元のバックからパンツを取り出し、布団の中で穿き替えたのです。
そうつまり、まだまだ子供だと思っていたM君がパンツの中に射精をしていたのです。
いや、僕が思うに初めての射精、つまり精通だったのんじゃないかと思うのですが、未だにそれは不明です。
でも、その情況を寝たふりをしながら薄目で見ていた僕には滑稽で愉快に思えた反面、自分より早い年齢で女性の胸元に抱かれ、我慢汁を出したM君に少し嫉妬しました。
そんな事を感じながら、M君が妻の胸元に抱かれ小さな寝息を立てるのを薄目で確認した僕は、いつしか眠りについていました。
それからどれ位の時間が経ったのか、僕が小さな物音に目が覚めると横で寝ている妻の上にM君が覆い被さり、大きく広げられた妻の股間に腰を深く沈め激しく妻を攻め立てているのです。
僕は驚きと言うより半分金縛り状態のまま、その光景を薄目ながら目に焼き付ける羽目となったのです。
その時の情景は僕に取って意外な光景でしたが、いったい妻はどのような心境だったのか、その答えは妻が全裸であった事、それが答えだと直ぐに気付きました。
それは決して暖房の効きすぎていた事など理由にはなりません。
捲れ上がった布団を気にせず大きく足を開き、声を噛み殺し、汗ばんだM君の背中に手を廻した妻のその体位は、明らかにM君の欲情に応えたもので、言い訳など出来る性行為では無かったのです。
でも僕は二人に怒りは感じません。
僕もM君に同情していたし、精通している男なら例え中学2年生であっても欲情に走っても仕方ない情況だったからです。
でもやはり多少の嫉妬はありました。
それに箱入り娘の妻に取って僕以外の初めての男性がM君だった事に他ありません。
そんな荒れる心境の中で、僕は妻とM君の寝息を聞きながら眠りについたのです。
次の日、朝食を済ませると妻とM君は早々に着替えるとゲレンデに飛び出して行き、「先に行くわね」の一言で一人残された僕は、昨夜の出来事を思い浮かべながら一人自分を慰め、スッキリしたところでゲレンデに二人を追いかけました。
ゲレンデに出ると、昨日の朝までのぎこちない滑りのM君とは違い、驚く程の上達ぶりを僕に自慢げに見せてくれたのです。
妻の「やっぱり私のコーチが良いから」と言う自慢よりも、上手く滑れる事を僕に見て貰いたいというM君の子供っぽさが可愛くもあって、昨夜の出来事が嘘のようでした。
そして、その日の晩も、食事を済ませ、温泉に浸かり、寝床に入ろうとすると妻が自分から僕とM君の間に寝床を陣取り、そそくさと寝息…

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