ギターの先生との思い出
2022/05/22
ギターの先生との思い出。投稿者、聖子、49歳。
あれは今から23年も前の事です。京都府の阪急沿線の某駅近くにギター教室がありました。その先生との、2度だけの愛の記録です。
彼には別居中の奥様と7歳になる娘さんがいました。そうです、先生と私は許されぬ関係だったのです。
ギターを習っていた私にとって、彼は私の全てでした。彼も私に好意を寄せてくれていました。
二人で食事をしたり、コンサートに出かけたりと、楽しい日々は、駆け足のように過ぎていきました。
彼は私より13歳も年上でしたが、私にとって初めから、たった一人の男性でした。
あれほど燃え尽きた恋は、もう二度とないでしょう。彼の6月の誕生日には、40本の赤いバラを抱いて教室を訪れました。
恋に恋をしていたのかも知れません。いや私もそのとき、すでに27歳でしたから、愛に恋をしていたのでしょう。
あんな愛は一生に一度で充分です。そう、多分私は燃え尽きてしまったのでしょう。
彼と肉体的に結ばれる前ですら、そんな状態だったのです。ある日、二人で梅田に出かけ、少しお酒を飲みました。夜の8時ごろでした。
陸橋の上で彼は私に迫りました。「僕は、今、とてもあなたが欲しい。」と。
私は戸惑いました。でも内心とても嬉しかったのです。それでも彼の思いを拒否しました。
別居中とはいえ彼には奥様がいました。私のために奥さまと別れてくださったとしても、私の両親を説得する自信はありませんでした。
第一、彼の心の中が読めなかったのです。嘘でもいいから「妻と別れて、君と一緒になるよ。」といって欲しかった。
きっと彼には複雑な思いがあったのでしょう。奥様と娘さんに対する思い、そして私への思い。私の父は病院の院長をしていて、厳格な家庭でした。
彼に才能があったとしても、どの組織にも属さない天才型の人間に、私はついていけるでしょうか。
私はずいぶん悩みました。そして、往きついた結論は、自分に正直になれとのことでした。
私は気に入っていた長い髪を切り、そして彼に抱かれることを望みました。
秋に山下和仁のギターコンサートが大阪であり、私はチケットを二人分買いました。
その日、偶然にも、私の両親は親戚の結婚式で、泊りがけで出かけています。
きっと運命が、私たちに与えてくれた、ひと時だったのでしょう。コンサートが終って、先生と私は夜遅くまでお酒を飲みました。
小さなクラブのボックス席で、私たちは熱いキスを交わしました。もう夜の2時をまわっていました。
呼んだタクシーを、私の家の前で止めた私は、彼の手をとりました。そして呟きました。「先生、泊めて上げますから。」
私は彼を私の家に入れました。それは私が命をかけた一瞬でした。
そのときの私には何も見えず、何も聞こえず、ただ先生だけが私のなかに存在していました。
二階の私の部屋に入ると、私はそっと呟きました。「先生、私はずっとこの部屋で暮らすのですよ。」
男のかたに、こんな女の気持ちなんて、分かってもらわなくていいんです。ただ女にとって、愛は命なのです。
先生はそっと私を抱いてくださいました。私は燃える思いを持って先生に口付けしました。
ベッドのそばにあった椅子に、腰掛けた私のスカートの中に、先生の指が入ってきました。
私は前の日に、先生に触られるかも知れないと思い、多くて長い陰毛を、短く2センチぐらいに、カットしていました。
ショーツの間から、私の花弁に彼の指が。もう陰部はグッショリ濡れています。
その瞬間、先生と生徒の垣根は取り払われました。大人の男と女になりました。
私は触って欲しかったのです。でも愛液を溢れさせている自分がとても恥ずかしく、あそこ特有の淫靡な匂いもしています。
「ダメェ、先生、シャワーを浴びてから。」と言って彼から逃れました。
先生は指を抜くとき、中指を私の割れ目に、そっと差込み、指を上部に移動して、勃起している愛の真珠をこすりました。
ぬるっとした感覚、そしてビクッとした快感に、私は思わず「ああっ」と嗚咽を漏らしました。
その日の私は、出かける前にシャワーを浴び、ソープで丁寧にあそこを洗っていました。
それでも半日たった、そのときには、自分でも分かるほど、愛液で濡れていました。
きっと、匂いもしていたと思います。先生に恥ずかしい部分を触られて、気が遠くなりました。
私はもう27歳の女です。先生には申し訳なかったけれど、処女ではありませんでした。
2年前に1度だけ、経験がありました。相手は恋人だった人で、その人とは結婚するつもりだったのです。
でも、まるでメロドラマのように、その人は交通事故で亡くなりました。
失意の日々を送っていた私の前に現れたのは、ギターの先生でした。奥様もお嬢様もおられました。
ずいぶん悩み、そして、選んだ道は不倫の愛でした。その夜の愛の営みは、私から積極的に求めたものでした。
私は彼の手を引き、1階のバスルームに案内しました。彼がシャワーを浴び、出てきたのと交代に、私はバスルームに入りました。
彼は体を拭き、2階に上がったものと思っていました。でも私がシャワーを浴びていると、彼がもう1度入ってきました。
生まれたままの姿で彼に抱かれ、私はバスルームの床に崩れ落ちました。
陰部を優しく愛撫され、私は喜びと恥ずかしさの中で、彼の唇を狂ったように吸い続けました。
どれほどの時が過ぎたのでしょうか、彼は私を立たせ、バスタオルで体を丁寧に拭いてくれました。
二人転がり込むように、2階の私の寝室に入りました。
父母と私は医院の2階に住んでいて、同じ敷地内の別棟に、父の経営する薬局がありました。
私は彼に断って、薬局に行きました。帰ってくると、彼は疲れていたのか、眠っていました。
しばらく彼の寝顔を眺めていましたが、意を決して彼を揺り起こしました。
「先生、ごめんなさい。今日、私、危ない日なんです。それで、これを。」
彼は理解してくれました。「わかったよ。出すときには、ちゃんとつけるから。」
私は黙ってうなづきました。本当はコンドームなんて、使用したくなかったのです。直に先生を感じたかった。
でも射精の時だけのコンドーム、なまで彼を受け入れて、恥ずかしい部分同士の結合、私は期待で体が火照りました。
皮膚よりも柔らかく敏感な、粘膜同士の溶けあい。私は彼に全てを預けました。
彼は私の乳房を吸いました。両方の乳房の真ん中にあるホクロが、彼の行為を見つめています。
彼の物が私の中に入ってきました。その瞬間、私はシーツを握り締めました。
私はその瞬間のために、今まで生きてきたような、幸せを感じました。恥ずかしい部分の快感が全身に広がり、私は喘ぎました。
彼の物を女の一番大事な部分で感じながら、彼に囁きました。「愛してる?」と。彼は静かに答えました。「ああ、愛してるよ。」
「うれしい。」私はそう言って、彼に身を預けました。そのまま死んでしまってもいい。私の正直な気持ちでした。
一発の銃声が雪山に轟きました。二人を情欲の雪崩が襲いました。不倫の罪も、切ないほどの悲しみも、もはや私の中から消えました。
刹那的な喜びの中、私は彼の全てを、私の一番大事な部分で感じました。
彼のリードのまま、彼の物を入れたまま、私は体を入れ替え、彼の上に跨りました。
レディースコミックで見た恥ずかしい体位のように、私は腰を振っていたのです。
もういいのです。このまま中に出しても。先生、中に精液を出して!赤ちゃんが欲しい!先生の赤ちゃんが。
でも先生は、私の中から抜くとコンドームを装着して、私の上に乗り、思い切り、腰を振り続けました。
「ああっ、出る。聖子、愛しているよ。」二人はぐったりと、そのままの姿勢で抱き合いました。
どれほどの時間がたったのでしょうか。先生は私に優しく口付けをすると、また愛の営みを始めました。
生まれて初めて、彼の物を口に含みました。彼に言われるまま、まるでアイスキャンディをしゃぶるように吸い続けました。
彼は私の一番恥ずかしい部分を、舐めています。女が上になった、シックスナインと言うのでしょう。
私は彼の顔を跨ぎ、彼の口が時々花弁のそばにある、お尻の穴を舐め上げます。
彼の物が大きくなったとき、私は体を入れ替えて、自分から彼の物をつかんで腰を落としました。
彼に私たちの結合部分が見えるように、体を反らしました。
先生が疲れないように、けれど彼の精液がカラになって、奥様としばらく出来ないように、腰を振り続けました。
そして燃え尽きたのです。別れを決意したのは、それから2ヵ月後でした。
初めての夜から1ヵ月後に、もう一度私たちは愛し合いました。そのときに、これ以上続けたら、もう後には戻れないと悟りました。
思いを遂げたときに、女が選んだ道は、別離でした。死ぬほど愛した男性に抱かれた女には、もう思い残すことなどなかったのです。
9月に初めて抱かれ、10月にもう1度愛し合い、そして11月にお別れの手紙を出しました。
「早いもので、先生の教室の門をたたいて、もう1年が過ぎました。その間、私は先生から、いろんなものを教わりました。
弾いてくださるギターの響きも、私の心を捉え、数々の思い出も、一つ一つが私にとって、かけがえのない物で、本当に有難うございました。
言い出せなくて、ずいぶん悩みました。先生のお顔を見れば、決心がぐらつき、今日のこの日を迎えてしまいました。
年が明ければ結婚いたします。平凡な人と、平凡な結婚をして、主人の帰りが遅くなれば、
愚痴のひとつも言うような、平凡な女になりとうございます。愚かな女とお笑いください。
初めて会った時から、こうしてお別れの手紙を書いている、この時まで、先生は私にとって、たった一人の男性でした。
先生との大切な思い出を持って、嫁いでゆきます。いままで、有難うございました。聖子。」
逢えなくなって23年、けれど一度として先生のことを、忘れたことはありませんでした。