姉とお風呂で柔軟体操1
2019/09/29
俺は中一、姉は今中三だ。
姉は俺と同じ体操クラブに所属し、エース的存在だ。
身長は162センチで、俺と同じくらい。
正直、ルックスもAKB48にすぐ入れるくらいだし、胸もよく発育している。
(Dカップがちょっときついってぼやいてた。)俺の方も小さい頃から姉とよく似ていると言われ、ルックスも人並み以上だし、逸物ももう大人だ。
そんな我が家は実は、母子家庭で母親は看護師だが、生活のために夜間のシフトが多い。
離婚とかじゃなくて父親が交通事故で早くに亡くなったからだ。
父親は姉を溺愛し、女の子は女の子らしく、きれいに成長してもらいたい、と言い、姉を5歳の時から近所の体操クラブに入れた。
俺もその流れで、5歳から体操クラブに通い始めた。
母は父が亡くなった後も父の願いを受け継いで俺たちにそれまでと同じように、体操クラブを続けさせてくれた。
それは姉が小学6年生の時だった。
以来、責任感の強い姉は俺の母親代わりのように俺を大事にしてくれた。
夜に母親が不在なことが多いのも姉の母親代わりのような態度の一因だったんだと思う。
とにかく、小さい頃から姉は俺をすごく可愛がってくれた。
近所でも評判の仲良し、そして美形の姉弟だったと思う。
俺もそんな姉を慕ってた。
というか、体操を教えてくれたり、お互いに補助しあったり、いつの間にかお互いに無くてはならないパートナーになっていた。
そんな俺たちだったから、風呂もいつも、一緒に入ってた。
俺たちの体操クラブの練習は結構ハードで、先輩には全日本を狙う人もいたりしてた。
だから、クラブが終わって家に帰ったら、すぐに風呂、風呂、って感じだった。
我先にって感じで入ってたから、自然と一緒に入ってたので、何の疑問も持たずに姉が小学6年生の頃でも一緒に入ってた。
父親は帰りが遅かったし、母親からは、もう、そろそろ別々に入りなさい、と注意されたことがあったが、姉の方が、まだいいよ~。
と言ってうやむやになってしまった。
そうしているうちに、父親が亡くなって、母親が少しでも多く稼ごうと夜勤でシフトするようになったから、そのまま、今でも一緒に風呂に入っている。
さすがに、今では母親がいるときは別々に入っているが。
だから、母親は俺たちが普段一緒に風呂に入っていることを知らない。
そして、俺たちが一緒に風呂に入っているだけじゃなくて、男女の関係にあるこも。
俺たちは体操クラブでお互いに補助しあうだけじゃなくて、家でも復習!!とか言ってお互いに補助しあってた。
特に柔軟体操は風呂で体が温まってる時がベストだ。
いつもは、180度ちょっとの開脚が普通でも、風呂で温まると190度以上でも割りと簡単にできてしまう。
俺たち姉弟は他の体操仲間より、少し体が硬い方だったから、お風呂での柔軟体操は必ずやってた。
(特に姉が)幸い、俺の家は祖父の代の古い家を改装した家だったから風呂場は広く、お風呂マットを敷いてたこともあって、柔軟体操にはもってこいだった。
姉、さ、こう君、柔軟体操やろっか。
いい?じゃお姉ちゃんの補助してね。
姉はいつもこんな風にニッコリ微笑んで柔軟体操を始める。
両方のえくぼが可愛い。
ホント、そのままテレビにアイドルとして出ても不思議じゃない。
だけど、俺たちの柔軟体操は本格的だ。
エロさで言えば、そこいらのアダルトビデオなんか足元にも及ばないくらいエロい。
一瞬、姉が超美少女系のAV女優になったような錯覚を覚える。
小学校の頃の姉はロリコンオヤジなら泣いて喜ぶような姿態を俺の前で堂々と晒していた。
まず、前後の200度開脚から始める。
風呂のヘリに片方の足を懸けて反対の足を後ろに伸ばす。
姉の両脚は190度くらいまでは割りと簡単に開く。
だけどそこからは中々難しい。
こうちゃん、お願い。
そこで、俺が補助をする。
姉の上半身を支えながら、姉の開ききった脚をさらに押し開くべく、姉の腰をもう一段押し下げる。
いい、いくよ?いち、に、さん、(ググっと押し下げる)、、ふmm、、ああっ、いたた、、。
お姉ちゃん大丈夫?大丈夫よ、、ああっ、、ふmm、、むんnn~nn。
姉の両脚は開ききり、股間の筋は悲鳴をあげんばかりに伸びきっている。
姉の大事な部分も開ききって中まで見えそうだ。
その大事な部分が床の風呂マットに付くまで、姉は俺に補助を要求する。
あああ、、、いたっ、いつつ、、、ふm、mmm、むんん、nn、、。
俺は姉の指示に従い、さらに姉の腰を押し下げる。
ついに、姉の大事な部分が風呂マットにピッタリと付いた。
その次は左右開脚だ。
やっぱり片足をヘリに懸けて反対の足を反対の方に伸ばしていく。
やがて両脚は開ききってしまい、俺の補助が始まる。
左右開脚の時は、姉の大事な部分は左右に引っ張られて開きっぱなしになる。
姉は臆することもなく、堂々と俺に大事な部分の奥まで晒している。
パックリ開いた大事な部分が姉の苦悶の声と共に、マットにピッタリと押し付けられる。
いち、に、さん、、いち、に、さん(ググ~グッグッグ~、あああ、、、いつつつ、、ふむっふmm、、むんんnn、、あああ、、そう、その調子よ、、ああっ、、ふmmm、、)その頃小学3、4年生でまだ何のエロ知識も無かった俺は、ただ、姉の苦悶の声を気遣いながら、姉の指示に従っていた。
だから、開脚が終わり、マットにピッタリと押し付けられていた姉の大事な部分が、マットから離れる時に、時々、何かヌルッと糸を引くのが何なのか分からなかった。
俺は単純に苦悶の声だとばかり思っていた。
今思えば、姉は自分の大事な部分を常に俺によく見えるように晒していた。
直接見えにくくても鏡を見れば、バッチリ見えていた。
姉はいつもそんな位置取りをしていたのだ。
それは、大体姉が小学6年生の頃からだったと思う。
それ以前にも、時々そう言う位置の事はあったが、鏡を見ると、ちょっとずれててよく見えない位置、そんなことが多かったように思う。
だから、その頃は俺に晒していたつもりはなかったんだろう。
ひょっとして、姉は俺に見せてるのかな?でもまさかな、今さらだしな、と思ったのが、肩と背骨のストレッチ体操の時だ。
その柔軟体操では、必ず四つん這いになる。
姉は、まず四つん這いになりながら、後ろをチラッと見ている。
俺の方を見てるのかと思ってたが、どうやら、鏡の位置を確認してたようだ。
四つん這いになった時に尻が真っ直ぐ鏡に向いているかを確認してたんだ。
俺は姉の横に膝だちになるか、姉の尻の方に向いて股がって、姉の肩と背中を上から押さえつけていくんだ。
いい、じゃ、始めるよ。
肩と背中を押さえつけるのよ。
うん、いいよ、じゃあ、いくよ。
いち、に、さん、(グッグ、、グ~グッグ!!)四つん這いのまま、姉は腕を前方に投げ出すように伸ばす。
姉の膨らみかけた乳がマットに押し潰される。
こうちゃん、もっとよ。
へそがマットに付かなきゃだめなんだから。
うん、分かってる。
じゃもっといくよ。
うん、もっと押して。
いち、に、さん、(グッグッグ~、、、グッグッグ~、、、)あああ、、、いつつ、、、ふm、mmm、むんん、nnn、、あああ、、姉ちゃん、おへそついてる?あああ、、、いつつ、、、つ、ついてるよ、、。
俺は姉の後の方に向いて姉を股がるようにして、背中と腰を押し下げる。
四つん這いだった姉は尻だけ、思いっきりつ突き出す格になっている。
俺から見ると、姉の成長途中の白桃のような尻が目の前で思いっきり突き出されている。
そして、すぐ向こうの鏡には、姉の大事な部分はおろか、アヌスまでもがくっきり映っている。
姉はいつも、クラブで同じストレッチをする時よりも、少し膝を開いていた。
だから、鏡を見ると、よけいに姉のアヌスと大事な部分が丸見えだった。
だけど、小学4年生の俺は、姉の大事な部分よりも、むしろ、アヌスに興味があった。
姉を押すたびにアヌスが引くつき、開閉するのが面白かったのだ。
俺は補助をしながら、ひたすら、姉のアヌスを凝視し続けた。
姉のアヌスの微妙なうごめきを一瞬でも逃がしたくなかったのだ。
もちろん、開脚で思いっきり左右に引っ張られてパックリっと開いた姉の大事な部分もいやと言う程目に焼き付いていた。
毎日そうやって、凝視し続けたおかげで、俺は姉も知らないことを知っている。
姉のアヌスには小さなイボがある。
(イボ痔ではない)大事な部分の左横に小さなほくろが二つある。
だけど、姉も俺の凝視に気づいていた。
補助されながら、時々チラッと俺の方を見ていた。
だが、小学6年生で、しかも、女の子は男の子より早熟だから、姉は俺が自分が見せつけている大事な部分に興味を持っているのだ、と勘違いしていた。
まあ、自分で見せ付けているつもりなわけだから、そう思うのも無理もないのだが。
だから、姉は大事な部分から糸を引くようにヌルットした粘液を溢れさせていた。
時々、それがトロっと糸を引きながら垂れ落ちていた。
姉は弟に視姦されていたのだ。
少なくとも姉はそう感じ取っていた。
そして、自らの恥ずかしい姿態と、それを弟に思いっきり晒して、弟から視姦されている、と言う異常なシチュエーションに興奮していたのだ。