家庭教師の教え子に調教された

2018/12/09

私が大学生の時です。
女子中学生の家庭教師をしていました。
今の中学生と違って、そのころの中学生は、本当に素直で純真な感じでした。
週に3回ほど行きました。
最初は部屋もきれいに片付けられていたのですが
そのうち部屋に入ったときにベッドの上に可愛い下着が脱ぎすてられているようなこともありました。
何かの用事で階下に下りていったときに、ついその下着を手にとりました。
パンツのちょうどそのところは薄く色がついていました。
思わず、そこに口をつけてしまいました。
それだけで、若い男の体は、ギンギンに固くなっていました。
5月から家庭教師をはじめて、やがて8月の夏休みとなるころにはずいぶんと親しくなっていた。
その年の夏は猛暑だった。
タンクトップやランイングシャツが流行っていたので、その子もそんな姿で勉強をしていた。
「暑い、暑い。」と言って、わざとらしく、僕の前で着替えることもするようになっていた。
時にはブラジャーをつけないでいることもあった。
14歳の少女の誘惑に負けそうであった。
親の承諾を得て、夏の海に日帰りで遊びにいった。
ゴムボートで波に揺られていたとき、自然な流れでキスをした。
その子とのはじめてのキスだった。
それからは家庭教師に行ったときでも、親の目を盗んでは勉強部屋で抱き合うことも多くなった。
14歳の体は、まだミルクの匂いがするような幼い体の匂いだった。
胸はそれなりに大きくなってはいたがまだきれいなピンクであった。
それでも、先を口に含んでやると切ない声を漏らした。
勉強はよくするようになったので親には感謝されていた。
若い体に唇を這わせているうちに胸や太ももにもキスマークがついてしまったが
その年ごろには親と一緒に風呂に入ることもなかったのでばれることはなかった。
修学旅行などで同級生にばれないか心配であったが、若い体のキスマークは少し経てば消えた。
そして、めでたく、有名私立女子高校に合格した。親は大変な喜びようであった。
そのため、高校に入っても家庭教師は続けることになった。
高校生になるとますます綺麗になった。
有名私立高校の授業のレベルは高く、大学生の家庭教師が教えられる程度を超えていたが、
その子が両親に先生に教えてもらうと良く分かると話していたので、家庭教師はそのまま続けられた。
そのころになると、私はその子のとりこになってしまっていた。
「肩もんで!」彼女は私のそうした心をもてあそぶようになっていた。
彼女の気分や都合で私を自由にもてあそんだ。簡単にはキスやペッテングを許してもらえなかった。
そうした反面、「足舐めて。」と部活をして学校から帰ってきたままの汚れた足を舐めさせられた事もあった。
体にキスをする場合でも、彼女の命令のとおりにしなければならなかった。
たびたび、あそこを舐めさせられたこともあった。
1日活動してきたままのシャワーも浴びていない汚れたままの若い娘のそこは
いやな臭いではなかったが独特の匂いがした。
ただ、このような生活は嫌いではなかった。私はそれほど彼女に夢中になっていた。
私はどんどん彼女の男奴隷のようになっていった。
その娘が高校3年生になったころ、上野の美術館に特別展を見にいった。
朝からでかけたので、昼すぎには見学も終わり、二人で食事をした。
午後、彼女に「ついて来て!」と言われ、鶯谷へ行った。
どこで調べておいたのか分からないが、あるホテルに入った。
それまで彼女とはSEXはなかったので、
今日は許してもらえるのかと期待に胸をはずませて入った。
しかし、そこは普通のラブホテルではなかった。
いわゆるSMの部屋だった。
そこで私は全裸になることを命じられた。しかたなく裸になった。
そして、キリストのように十字架にはりつけにされた。
彼女はムチを取った。そして突然ムチを振り下ろした。
最初は太腿近くにあたった。息がつまるほどの痛みが全身をつらぬいた。
次々とムチで打たれた。下腹、胸、足の付け根、と体中にミミズ腫れになった。
ムチがあそこに当てられたとき、あまりの痛さにとうとう失禁してしまった。
しかし、これはまだ序の口だったのだ。
ハリツケにされたまま、彼女は洗濯バサミのようなものを取り出した。
そのひとつで乳頭を挟んだ。
男の乳頭にも神経が集中しているので失神するほどの痛みが走った。
胸に4つ、腰に4つ、腹に6つと挟まれた。
急所のところの袋にも6つ挟まれた。
耳、鼻、唇にも挟まれた。
そうして、またムチを取り出し体に振り下ろされた。
洗濯バサミはそのムチではねとばされた。
それが外れたときに感じる痛みはつけたとき以上だった。
こういう痛みを受けたことのない女子高校生の拷問は限度がなかったのだ。
次に彼女が取り出したのはダーツの矢のようなものだった。
先には細い針がついていた。
そのダーツの矢を持って私の体を的にして投げつけた。
最初の1本を投げつけられたとき恐怖で声を上げてしまった。
痛みというよりも、矢が体にささり血が吹きだしてきたのが恐怖だった。
あたり所によって痛くないこともあったが、
神経に触れたようなときは震えるほどの痛みを感じた。
胸から腹へ、そしてその下の方に的を移していったので、
最後にあそこに当てられるかと思った。
十何本か体に刺さったときに、ようやく投げるのをやめた。
また、ムチを持ち出した。
体にささったままムチで打たれたら深くささってしまうのではないかと思った。
しかし、その後、針は1本づつゆっくり抜かれた。
抜くたびにそこからは血がながれ出していた。
ハリツケ台は電動になっていて、スイッチを入れるとタテになっていた台が水平になった。
次はローソクだった。赤い太いローソクに火が点けられ、溶けた蝋が落とされた。
ムチの跡や針のキズに熱いローソクが容赦なく落とされた。
もう限界だった。
相手が教え子であるということを忘れて、
「助けて下さい。」と思わず敬語になってしまった。
彼女は、なかなか止めなかった。
そして、やっと、ハリツケから私を解放したとき、
彼女のあそこはヌレヌレのようだった。
「抱いて。」とやっと女子高校生らしい表情になって甘えてきた。
2人でベッドへ移動し、初めてのSEXをした。彼女は初めてだった。
充分濡れてはいたが、挿入したときは、「痛い、痛い。」と可愛い声を出した。
これで私たちの立場は逆転したかに感じたが、その後も彼女の女王様ぶりはかわらなかった。
彼女が大学に進学したとき、マンションを借り一人暮らしを始めた。
そのころはもう家庭教師の仕事は辞めていたが、彼女から連絡があり喜んで出かけた。
それが彼女のマンションに行った最初である。
初めてマンションに入ると、イチジク浣腸が並べてあった。
「これで腹の中をきれいにして来なさい。」と言われた。
「きれいにしないとあとで大変なことになるからね。」
私はそれがどういうことなのか、そのときはまったく予想しなかった。
お手洗いに行き、自分で自分に浣腸をした。
浣腸は何個も用意されていたが、1度出しただけで、お手洗いを出た。
「きれいにしてきたのね。」と言うので、「はい。」と返事をした。
「じゃ、裸になってお尻を出しなさい。」「足を手で抱えて仰向けになりなさい。」
言われたとおり自分の足を抱えて仰向けになった。
彼女の手にはソーセージが握られていた。それをアヌスにあてゆっくり押し込んだ。
そしてゆっくりと押したり引いたりはじめた。
その上でオナニーを命じられた。「出るまで止めないよ。」と言われ、
彼女の目の前で、オナニーで射精をさせられた。
その間もお尻に入っているソーセージは彼女の手で動かされていた。
射精をすると、ソーセージは抜かれた。
「お尻は自分できれいにしたのね。じゃあ、これ食べられるよね。」とそれを顔の前に突き出した。
浣腸のあとではあったが、そこにはべっとりと便がついていた。私は1度で浣腸を止めたことを後悔した。
「食べなさい!」
私は便のついたソーセージを食べさせられた。
私はそれからも、何度もマンションに呼びつけられることになるのである。
次のマンションに行ったときは、すぐに全裸にさせられた。
「手を背中にまわしなさい。」後ろ手に縛られた。
引き出しから電気マッサージ器を出してきた。
それは肩こりなどに使う普通のマッサージ器で、町の電気店などで売っているものなので、
女子大学生が購入しても何の不思議もないものである。
マッサージの電源を入れると、私のあそこに押し付けた。
私はそれまでマッサージ器などあそこにあてたことなどなかったので、その刺激は強烈なものだった。
すぐにそこは大きくなった。すぐにでも射精しそうになった。
彼女はそこが大きくなるとマッサージ器をすぐに離した。そして萎えてくるのを面白そうに待った。
小さくなるとまたマッサージを押し付けた。射精しそうになるとまた止めた。
直前で止められることは非常な苦痛だった。彼女はこれを何度も繰り返した。
最後にそこに小さなビニール袋をかぶせ、射精させられた。
射精したときはもう快感はなくなっていた。
射精させられたとき、「ああ、やっとこれで終わった」と思った。
しかし、これで終わりではなかったのだった。
「口を大きく開けなさい。」
口を開けさせられた。ビニール袋に入ったザーメンを私の口の中へ絞りだした。
「全部飲みなさい!」口の中のザーメンを飲み干すと、袋を裏返しにして、
最後の一滴まで舐めさせられたのだった。
それが終わっても解放はされなかった。
後ろ手に縛られたまま床に放置されたままであった。

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