母は公衆便所
2018/10/31
ぼくが中学の時、隣の家の犬に吠えられ、石をぶつけた事から母の生活が変わりました。
そこの住人はチンピラで因縁をつけられて、母はそのチンピラと深い仲になったのです。
父はアメリカ北部やカナダの貯木場を頻繁に視察に行くため、ほとんど留守がちだったので、最初は夜中に来ておまんこして帰っていましたが、そのうち朝まで見かけるようになり、ついには1日中いてまるで夫婦のように生活するようになりました。
ぼくは学校から帰ると風呂を沸かす役です。
準備ができると男と母が一緒に風呂に入っておまんこします。
ある日その男が別の男を連れて来ました。
母は「はじめまして」と丁寧に挨拶をしていましたが、ぼくは大きな男だったので怖くて黙って自分の部屋に入ると母から呼ばれて、「ちゃんと挨拶しなさい」と怒られたのを覚えています。
その夜、その男はうちに泊まり母とおまんこしました。
ぼくが中学3年の頃から母は夜、隣町のバーに勤めに行くようになりました。
夜はぼく一人の生活がしばらく続きました。
ある夜タンスを開けて捜し物をしていると奥の方に雑誌があったので取り出すと、裏本で、なんと母の裏本でした。
持つ手が震えたのを覚えています。
バー勤めが始まって、昼間に家に客の男が頻繁にくるようになりました。
昼過ぎに学校から帰ったりすると居間のカーテンが閉まっている時は、間違いなく玄関に男のくつがあって、母のうめき声が聞こえていました。
いちばんショックだったのは、ぼくが好きだった叔父が兄弟で家に来て、母とおまんこしていた時です。
家に帰ると叔父がふんどし姿で居間に座っていて、ぼくの顔を見ると、いきなり怒り出して、帰ってくるな!と言われたんです。
ぼくはショックで裏の空き地に逃げていましたが、母の姿が見えないので勝手口からこっそり覗くと、叔父の弟が母とおまんこをしていたんです。
叔父はカメラを構えて、しきりにシャッターを切っていました。
ぼくが高校になってますます母の異常ぶりはエスカレートし、チンピラの入れ知恵で、ぼくの上級生の不良ともおまんこするようになりました。
新聞配達のバイトをしていた上級生が朝ぼくの部屋の隣の部屋をゆっくりと開け、奥の部屋から母が出てくるのがわかります。
うちは田舎なので隣の家とはかなり離れており、裏は雑草が生い茂った空き地で、さらにその下は川がながれていました。
朝っぱらから隣の部屋や空き地で母と上級生は、おまんこします。
ぼくは、たまにそれをこっそり覗いてはオナニーしていました。
当然の事ながらやがて母は不良達の公衆便所になってしまいました。
田舎の駅のそばには畑の間に荒れ地があって茂みができています。
ある日ぼくは学校帰りに不良上級生に捕まってしまい、母に伝言をするように命令されました。
買い物帰りにその荒れ地に来るように伝えました。
気になって買い物から帰る母を自転車でつけると、母は買い物カゴを下げて命令どおりにそこに向かって行くのが見えました。
ぼくはそれを見届けて先にうちに帰ったのですが、気になってまた歩いてそこへ行きました。
茂みの中で裸の母がしゃがんで、うめき声を出しながら上下に動いていました。
取り囲むように不良達が4?5人いましたが見つかると怖いのですぐ帰りました。
そして母が帰ってきたあと、またそこへ行き、散乱したチリ紙を拾って、匂いをかぎながらオナニーしました。
ある日、夜中に母に起こされました。
訳もわからず隣の部屋にゆくと、部屋にはタバコの煙で雲海ができていて、男が4?5人いました。
母に、その男達に挨拶するように言われて挨拶すると、一人の男が「お前のかあちゃんは俺達と今からおまんこするから、ちゃんと見とけ!」みたいな事をドスの効いた声で言われました。
ぼくは、こわくて逃げたかったのですが、なんと腰が抜けてしまって動けなくなり、次々に男とおまんこする母を呆然と見ていました。
ぼくはやがて母の留守に家探しをするようになっていました。
金が入っている引き出しから少し抜き取って先輩の友達に渡した事もあります。
写真を近所にばらまくぞ!と脅されたからです。
その友達と母のおまんこ写真でした。
ばらまかれる事よりも殴られるのが怖くて盗んだんです。
母に伝言を命令されたのにそれを伝えずに、あとで袋叩きにされた事があります。
両手を2人に押さえられて、正面からモーションをつけて顔を殴られ前歯を折りました。
不良の事は母も知っていて前にも話した事があり、「あんな不良とは付きあっちゃダメ」と言われていたので、歯を折った事情を問いつめられた勢いで話してしまいましたが、母の返事は「あんたもああいう逞しい青年にならないとダメよ」でした。
学校帰りに見知らぬ高校生に呼び止められて「かあちゃん呼んでこい!」と言われた事もありました。
家の前でもすれ違ったりとか、山から農道を降りてくるバイクの後に母が載っているのを見かけた事もありました。
母の裏本を見つけてからは、母が買い物に出掛けた僅かな時間にも家探しするようになってしまいました。
8ミリフィルム、ビデオテープ、ポラロイド写真、カセットテープ、チンピラと仲良く写った写真、なにやら怪しい雑誌、あちこちから探し出しました。
いつ母が帰って来るかわからないスリル満点の状態の中で、まるで宝探しをしているようなノドが乾くような楽しい気分でした。
よくビデオテープや本の数が増えたり減ったりしていました。
タイトルは殆ど覚えていませんが、ビデオテープのラベルはきちんと印刷されたもので、価格が35000円だったのを覚えています。
何本かあって全部は見れませんでした。
見ている時に急に母が帰ってきて、慌てて止めた拍子にデッキの中に詰まってしまい、母の目を盗んで無理矢理こじ開けたのでデッキが壊れたんです。
それまで2本くらいは見たでしょうか。
所々の内容は覚えています。
とにかく大勢の男達の相手をさせられていました。
髪をワシ掴みにされてちんぽこを口にグイグイ押し込まれ、嘔吐しながら目を充血させていたり、仰向けに寝てる男が2人並んでいて、一人に跨って腰を振り、手では隣の男のちんぽこをしごく。
やがて母は「いきますっ!」と叫び同時に男に下からグイと腰を持ち上げられ中腰になり、ビチビチ音を立てながら激しく挿入され、やがて男も「オラッ!オラーッ!」と声をあげ射精しました。
弓なりになってのけぞりながら母のおまんこを突き上げていた男は腰を降ろすと母も挿入したまま腰をおろしうつろな目をしていると、カメラの手前あたりにいる見えない男から「オラ!さっさとしろ!」と命令され、ゆっくりと立ちあがると、おまんこから精液をドロドロ垂らしたまま隣の男のちんぽにゆっくり腰をおろし、これでいいのか問いかけるような目でカメラの方を見てまた腰を振り始めました。
チリ紙に包んでタンスの一番下の引き出しを抜いた所に隠してあった、叔父と叔父の弟とのおまんこ写真はインスタントカメラで撮ったもので、殆どは布団の上やぼくの部屋だとかでおまんこしているものでしたが、その中の1枚に海の見える丘のような場所で、すっ裸の母の両脇にズボンのファスナーから勃起させたちんぽこを出した叔父達が立っていて、母はそれを両手で握りしめて股をおっ広げてしゃがみ、おしっこしながらカメラ目線でニタついている写真がありました。
ぼくはそれを見た瞬間後ろから頭を殴られたような衝撃と同に、無意識に声が出て勃起する暇もなくバンツの中で精液を漏らしていました。
ぼくが高校3年の頃、父は病気で入院しました。
そして大手術をする事になりました。
その頃の母は、チンピラの友達の男と仲良くなって男は時々うちで寝泊まりをしていました。
母もそれまで病院に付き添いで通っていて、その男の車で送り迎えしてもらってました。
手術の前日に母と話して、一緒に病院に行こうと決めたのですが、手術の朝、母と2人で支度をしていると、元のチンピラが3人か4人くらいの男達を連れてきました。
玄関で随分長く話しをしていたので聞き耳をたてていると、男がしきりに何かを出せと説得していて、母はそれを断っています。
そうするうち男達は居間に上がり込み、部屋に戻ってきた母はぼくに「ちょっと部屋に入ってなさい。」と言ったので、ぼくは部屋に戻って聞き耳をたてました。
母が居間に来た様子なので、居間とぼくの部屋の間仕切りの板ににこっそり開けておいたのぞき穴から覗きました。
母は自分の裏本とか、自分のおまんこビデオとかを持ってきたのでした。
母はスカートをめくられたりしながら男達としばらく話していましたが、病院に行くから・・と私の部屋に来たので男の車に乗って病院に行きました。
病院で手術前の説明を聞いて、ベッドで移送される父を見送って待合い室に行きました。
待合い室に、さっきの男がまた来ました。
母はすぐに男についていき、しばらくして、母が戻ってきて「用ができたから手術が終わったら叔父さんの家に泊めてもらいなさい」と言うので、昼過ぎに無事に終わったとの連絡を受けて、ICUを覗いたあと歩いて帰りました。
でも叔父とは会いたくなかったので叔母に「友達の家に泊めてもらうから」とウソの電話をして4K程の道を歩いて帰りました。
夕方近くに家に帰り着くと玄関は沢山のくつで散らかっていて、居間は男達の声で騒々しい。
ぼくは、気づかれないように部屋に入り、のぞき穴から居間を覗きました。