僕子2
2018/10/18
大学生活も体に馴染み、俺は新しい環境にすっかり順応していた。
そんなふうに言えば聞こえはいいが、
環境の変化に多少の張りがあった生活も、すっかりだれてしまったと言った方が正しいかもしれない。
しかもまさに生かすも殺すも自由な夏期休暇になると、さしてバイトも入れていない俺は悠々自適な毎日を送っていた。
同級生から僕子の噂を聴いたのは、そんな時のことだ。
就職した僕子に遠慮し、俺はしばらく連絡をとっていなかった。
正直に言うと僕子の電話番号をディスプレイに表示させて、ただ眺めるなんて事が何度かあったのだがそんな事はどうでもいい。
なんでも僕子は、就職先でかなりの才能を発揮していたらしい。
上司にも気に入られ、それなりの肩書きまでもらっているそうだ。
少しも不思議じゃない。
いかにも僕子らしい、いや僕子なら当然だろうと思った。
何故か俺が誇らしい気持ちになる。
だが重要なのは、ここからだった。
その目をかけていてくれていた女性上司が、地方で新しい店を手がける事になったらしい。
それに一緒にこいと誘われ、OKしたとの事だった。
行動派で決断の早い僕子の事だ、二つ返事でOKしたのだろう。
直接なんの連絡も来ていないことに一抹の寂しさを感じながらも、堂々と連絡する理由ができたとに俺は喜んでもいた。
「よ?う、久しぶりじゃんか?全然連絡くれないから、てっきり私捨てられたのかと思ってたよ?」
しょはなっからハイテンションで電話にでた僕子は、俺が知ってる僕子以外のなにものでもなかった。
まったく、どう話そうかとウジウジ考えてた自分が馬鹿らしくなる。
だが僕子の本領はここからだった、俺は次々とビックリさせられる事になる。
まず僕子の新天地がとんでもない僻地だという事、ちょっとやそっとで戻ってこれる場所じゃない。
しかも夏休み開けにはすぐに引っ越すという事。残りはもう一週間もなかった。
続いて、つい最近バイクで転んで怪我をしたという事。
そしてそれを期に、あんなに好きだったバイクを止めたという事。
休む間もなく突きつけられる、驚きの連続。
とりあえず二日後に会う事に。
「どこ行くか、なんだったらバイクだそうか?」
「実はさ、まだちょっと足が痛いんだぁ」
「マジで?、ホントに大丈夫なのかよ?」
「いや大した事ないんだけどさ、ちょっと出歩くのは辛いからウチこない?」
なんでも高校卒業と同時に両親は田舎に帰ってしまい、今は会社で借り上げてくれているアパートにすんでいるらしい。
「おっけーおっけー」
「手土産わすれんなよなっ」
「お前ふざけんなよ?」
数ヶ月の間話していなかったとは思えない。
高校時代そのままの、僕子との会話がめちゃくちゃ楽しかった。
待ち合わせ場所は、僕子の家の最寄り駅。
そこに現われた僕子を一目みるなり、俺はかなり動揺した。
あのスポーツ刈り頭は微塵も無く、ふわっふわのショートカットになっていた。
それは顔の小さい僕子にピッタリマッチしている。
そしてなにより、あの僕子がスカート姿だったのだ。
小柄でキュートな女の子、実際すれ違う男の視線を何度か引き付けていた。
「あぁ、僕子ってこんなに可愛いかったんだなぁ」そうシミジミ思った。
俺の視線に気づいた僕子が、コツンと蹴りをくれる。
「なによ?、私だってスカートくらい履くのよ」
チョット拗ねた様に口を尖らせる。
「あ、いやさ、予想外に似合ってたからさ」
「ドカッ」
すかさず強烈な蹴りが入る。
「イテッ!、おまえ足平気なのかよ?」
「あぁうん、たいした事ないんだって、なんか捻ったみたいになっちゃってさ違和感あるだけ」
「単独だったの?」
「実はさ…、たちゴケしちゃって…」
僕子はバツが悪そうに頭をかいてみせた。
「はぁ?、お前が?、なにやってんだよ」
「仕事帰りでボーっとしてたみたいでさ、会社からバイクやめろって言われちった」
「そっか…」
「まぁどうせ向こうにバイク持って行くのは無理だったしさ、思い切って手放したんだ」
俺は上手く言えない寂しさのような物を感じたが、僕子自身はもっとそうだっはずだ。
沈んだ空気を蹴散らすように、僕子が声を上げる。
「で、その手にもってる袋なによ?」
「あぁ、近所にケーキ屋が出来てさ、結構有名な店らしいのよ」
ケーキを受け取った僕子は、悪戯っぽい目をして言った。
「お?なんだよ、私に小細工使うようになったんだ?」
「お前が手土産もってこいっていったんだろ!」
すかさず僕子も言い返してくる。
「私がそんな図々しい事、いつ言ったよっ」
はぁ、おれは大袈裟にため息をついて見せる。
「お前っばかっ、それケーキだって、ブンブン振り回すなよっ」
「遠心力?」
僕子は、ケーキの袋を楽しそうに振り回していた。
まったく…
一緒に歩いていて思った、俺たちってずっと兄妹みたいだったな。
いや、姉弟かもしれんが…
少しドキドキしながら入ったその部屋は、いかにも僕子らしい部屋だった。
色気のあるものは皆無。
機能的で必要な物が必要な所においてある、そんな感じ。
そして部屋に不釣合いな馬鹿でかいベットだけが、やけに自己主張していた。
どうしても俺の目が、そちらに行ってしまう。
なにかよからぬ妄想をしそうになる自分と闘っていると、僕子がキッチンから皿を取り出して出てくる。
「そうそう、ケーキあるんだけど良かったら食べない?」
「俺が買ってきたんだろ」
「まぁまぁ、遠慮しないで」
「お前が遠慮しろっ」
正直助かったよ僕子。
それから俺たちは、時間を忘れて喋りあった。
こんなにも喋る内容があったのかと思うほどに。
話に合わせてクルクルと動く僕子の表情、アクションを見せる腕、滑らかに動く指先。
いくら見ていても飽きなかった。
一番多く話したのは僕子の仕事の話。
仕事の話をする僕子はイキイキと輝いていて、饒舌だった。
本当に仕事が楽しいんだな。
俺はそんな僕子を、誇らしく思い、羨ましく思い、なぜだか寂しくもあった。
実際にその仕事が、僕子を遠くへ連れ去ろうとしているわけだ。
そう思うと、俺の気持ちがますます沈んで行く。
胸と腹のあいだ辺りに押さえ込んでいた「モヤモヤ」みたいな物が、一気に膨らんだ気がした。
「お前、ホントに行っちゃうんだな」
僕子は少し間を置いてから、力強く頷いた。
「うん」
「なんか俺さ、僕子にはいつでも会えるって気がしてたんだ」
僕子は俺の目をじっと見ている。
「うん」
「また僕子とツーリング行きたいと思っててさ、行けるもんだって思ってた」
「うん」
「でももう、それは無いんだと思うと、寂しいな…」
俺は自分のつま先の辺りを見つめて、うつむいた。
ふと、自分が泣くんじゃないかと思った。
すると不意に僕子が立ち上がった、そして俺の隣にやって来てトサッと座った。
ピッタリと体が寄っていて、僕子に触れた部分がすごく熱く感じた。
「私、上司に誘われた時ね、その場ですぐについて行こうと思ったの」
俺はだまって聴いていた。
「友達の事、バイクの事、家族の事、なに一つ頭に出てこなかった」
「不思議なほど、障害になるものが何もなかったんだ」
そういうと僕子の言葉は途切れた。
でも何か真剣に考えている様子だったので、俺は黙って待った。
しばらくして僕子は小さく呟くように言った。
「でもさ、ひとつだけ、ひとつだけ頭に浮かんできたのが(俺)の事なんだ…」
俺にとって、これ以上ない衝撃の言葉だった。
後ろから頭を強くなぐられたような感覚。
「ホントは私ね、黙っていなくなるつもりだったんだよ」
「だから(俺)から電話が来た時はビックリした」
ゆっくりと、独り言のように話す僕子。
「昨日さ美容院いって、スカートも買ってきた」
そういって良く似合っているスカートの裾を引っ張っる。
「めちゃくちゃ緊張したぞ」
照れくさそうに笑ってみせる僕子。
だけど僕子はまたすぐ真面目な顔に戻る。
「ツーリング行った日の夜さ、私の胸揉んだ事覚えてる?」
俺の心臓が驚いて、変な音を立てた。
もちろん忘れる訳がない、いや忘れられる訳がない。
だがその時俺は、パンチの連打を浴びたボクサーのような状態。
さっきからの強烈な言葉にすっかり参っていた俺は、首を立てに振るだけで精一杯。
「一緒に付いて来てくれない?って真剣な顔の上司の前でさ、何故だか私(俺)に胸揉まれた時の事思い出してんの」
そう言うと僕子は、自分の膝に顔を突っ伏して可笑しそうに笑った。
いつまでもそうして肩を震わせているものだから、俺は一瞬僕子が泣いているのかと思った。
次の瞬間サッと顔を上げ、俺の顔を見つめてきた。
柔らかなやさしい目。
「あの時私の事、抱きしめようとしてたでしょ?」
「うん」
「隣にみんながいたしさ、私恐くなって突き飛ばしちゃったの」
俺はあの時の、裸で胸を隠す僕子の姿を思い出していた。
僕子はコクリと喉を鳴らすと、俺の目を見たまま言った。
「でもさ、私今なら突き飛ばさないと思うんだ…」
KOパンチだった。
目の前がチラチラして頭が真っ白になった。
これは、行かなきゃ駄目だよな。
俺は最後の力を振り絞るようにして、肩に腕をまわす。
そしてぎこちなく僕子の体を引き寄せる。
とたんに俺は僕子の匂いに包まれる。
俺の胸で、僕子が大きく息をつくのが解かった。
なんて細くて小さいんだ。
あの生き生きとみなぎるパワーが、この体から出てくるなんて信じられない。
僕子の手が俺の背中にまわりしっかりとつかまれた時、俺の頭の中は僕子だけになった。
僕子の裸は透き通るほどに真っ白で、俺が触れた場所だけ赤みを帯びた。