サークルの大学生と 肆

2018/04/26

7アヤの部屋でキスをした後は、二人とも何となく吹っ切れたような、さっぱりとしたような雰囲気になった。
例えてみれば、引越しや大掃除をしたような、念頭にあった懸念が解消されたような、そんな感じだった。
二人きりで部屋の中で、となれば、そのまま肉体的な方向に進みがちだが、それは、どちらの心にもなかったように思う。
そうした欲求を持つほど、俺達の間に愛情というものは育ってなかったのではないか。
二人とも捨てきれない
己の感情を振り払うのに懸命だった、と俺は結論付けている。
頼んだピザを食べ終わって一時間もしたら雪が小降りになってきたようなので、俺は帰り仕度をした。
アヤの部屋にいたのは、三時間程度だった。
それから、すぐに大晦日が来て何事もなく年を越し、冬休みが終わった。
アヤからは、一度だけ、映画に行かないか?というメールが来たが、都合がつかず断った。
エリとは会っていない。
年が明けると急に時間の流れが速くなったように感じた。
授業の始まった大学は、すぐに後期試験を迎えた。
単位に関して、俺は殆ど問題なかったから、卒業を待つだけだった。
卒業式が近付くと、周りは最後の学生生活を惜しむような盛り上がりを見せた。
必要以上に浮き足立って、飲み会や打ち上げという名の誘いが来た。
俺は同じ学部の友人やゼミの飲み会を優先させて、サークルの飲み会には行かなかった。
この頃は授業もなかったし、春から仕事に就く為の準備があって、自分が学生なのか社会人なのか認識しづらい立場だった。
春になった。
いつの間にか卒業していて、いつの間にか社会人になっていた。
四月から六月の三ヶ月間の記憶は、殆どない。
あの頃は何をしていたのだろうか。
覚えていない。
思い返そうとしても思い出せない。
不思議だ。
残っているのは、ほんの断片的な記憶だけで、それを、どう繋ぎ合わせても
当時の自分を再生出来そうには思えなかった。
職場と家を往復して、仕事に慣れる事で精一杯だったし、もしかしたら、毎日、同じ事を繰り返していたせいで、記憶が圧縮されているのかもしれない。
仕事を始めた事で、自分の行動範囲が変化した。
職場と大学は方向が全く違っていたから
住んでいる場所は変わらないのに、それまで会っていた人に会わなくなったし、行った事のない場所に行くようになった。
エリにもアヤにも会っていない。
それどころか、大学時代の知り合いとは誰とも会わなかった。
ある日の仕事帰り。
夕食を摂ろうと立ち寄った店で、大学時代のバイト仲間と偶然再会した。
彼も社会人になっていて、懐かしい思い出話をしながら連絡先を交換した。
近況を語り合うと、互いを励ましあうような言葉を交わした。
「また会おう」
彼は別れ際に笑顔で言った。
新しい仕事。
新しい人間関係。
自分を取り巻くものが急激に変化していく。
そんな生活環境や交友範囲の変化は寂しくもあり嬉しくもあった。
新人研修が終わり、夏を迎える頃には、俺の中に多少の余裕が生まれるようになった。
相変わらず忙しい毎日だったけど、おそらく、体の方が慣れてきたのだろう。
七月下旬。
エリからメールが来た。
話したい事があるので、少し時間を作ってほしい、という内容だった。
何度か連絡を取り、約束の日を決めた。
八月に入ったばかりの土曜日は半袖でも足りないくらいの暑さで、陽が落ちても、そこら中に熱気が満ちていた。
エリとの約束の五分前に待ち合わせ場所に着くと、彼女は既に来て、俺を待っていた。
彼女と会うのは、もう半年振りで、メールなどの遣り取りはあったから全くの音信不通でもなかったけれど、こうして面と向かうと半年という時間の経過を思い知らされた。
エリの短かった髪は、肩にまで届くくらいになっていて、それを縛って纏めている。
最近になって使い出したのか、縁の細い赤い眼鏡が彼女をとても知的に見せていた。
飾り気のないノースリーブにジーンズという格好だったのに
女らしい色気を感じる。
待ち合わせたのは彼女の大学に近い場所で、そこから歩いてすぐのレストラン兼バーみたいな店に入った。
そこは、昔のアメリカ西部地方みたいなのをイメージしているのだろうか。
内装や店内の小物にも、そういう雰囲気が感じられた。
席に着くと、近況報告のような世間話のような愚痴のような会話が暫く続いた。
彼女は大学院に入ってから、昔以上に忙しくなったみたいで、今日の予定は彼女の都合に合わせて計画されたものだった。
会話が一通り済んでしまうと、エリはアヤの話を持ち出した。
「俺くんって、最近アヤに会ってる?」
「いや、何となく忙しくて会ってないね」
「連絡は取ってるの?」
「たまにメールが来るくらいだけど……どうして?」
「んーー……」
彼女はグラスを両手で包むようにして、その中を見詰めている
何となく言い難そうな様子だ。
俺は、先を促した。
「なんか……最近、元気がないみたいなんだよね……」
彼女が言うには、アヤと連絡をとっても、今ひとつ元気がない。
最初は仕事がキツイのか、とか悩みでもあるのか、とか
色々考えていたけど、どうもはっきりした事はわからない。
良かったら俺が様子を窺うなり、遊びに誘うなりしてあげてほしい、という事だった。
俺は、それに反対するような疑問を投げかけた。
「俺が誘っても効果ないんじゃないの?」
「そんな事ない」
「だって、仕事が上手くいかない……
とかって話なら俺にはどうする事も出来ないよ。
他にも、んー……例えばアヤちゃんに何か悩みがあったとして、さ。
俺が何かして、どうこうなる問題じゃないと思うんだけどなぁ……」
俺は考えた。
おそらく、アヤも環境の変化に戸惑っているだけではないのだろうか。
きっと、職場の人間関係や風習に驚いたり、当惑したり、悩んだりしながら、懸命に自分を適応させようとしているのではないだろうか。
俺と同じように。
女性の方が、些細な事に敏感でうるさい人間が多い、と聞く。
そういう人が周りに多いのではないか。
きっと、職場に溶け込もうとする毎日に、神経をすり減らし、エリの誘いを受け入れる余力が残っていないだけではないのか。
勝手な想像だったが、俺はアヤの状態を、そう判断した。
アヤも俺も似たような状況なのだろう、と。
俺だって大学の友達には会っていない。
今日だってエリから誘われなければ、自分からエリに声を掛けて、食事でも行かないか、なんて誘う事はしなかっただろう。
そこまでの余裕はない。
しかし、その点、エリは違う。
彼女は自分の通う大学の院生になった。
通学場所も変わらない。
専攻内容も変わらない。
多少の変化はあるだろうが、俺やアヤが体感しているような変化とは雲泥の差なのではないか、と思っている。
だから、エリの話を聞いてもアヤに味方をしたい気になった。
すると、彼女は意外な話をし始めた。
「前にさ……去年の年末かな。
ほら、三人で食事に行こうって話が私の用事で
キャンセルになった時があったでしょう?」
忘れるはずがない。
あの雪の日だ。
「私の用事が終わらなくて、やっと全部片付いて、時計を見ると十時近かったのかな。
それで、一応アヤに電話をしたのよ。
ごめん、今、終わったって。
今日はホントにゴメンって。
……そうしたら、あの子、別にいいよって言ってくれて。
後になって、会った時に、もう一度、その話をしたの」
それは初耳だった。
俺は手元のグラスを握り締めて、彼女の話に耳を傾ける。
「アヤは全然気にしてなくて、でも私、あの子が、その日を楽しみにしていたのを知っていたから、気にしてないはずはないなって思って、もしかしたら、俺くんと、いい感じになったのかな、とか思ったりしたの」
俺は、その発言に面食らったが、続きを促した。
「アヤは、色々考えてた事があったけど、俺くんに話してスッキリしたって言ってた。
少し救われた、というか、慰められた、というか、そんな意味の話をしてたよ。
俺くんが何て言ってアヤを励ましたのか知らないけどさ、あの子にとっては俺くんの存在って大きいんじゃないかな。
だから……」
彼女の瞳が揺らいだように見えた。
頬は紅潮している。
「だから……きっと、私には言えなくても、俺くんが訊けば話してくれる事もあるって思うんだよね。
ちょっと悔しいけど……」
彼女は、そこで言葉を切って
目の前のグラスを取り上げて口をつける。
ジントニックだったか。
透明な液体が少しずつ減っていく。
俺も、それに倣って自分のグラスを口に運んだ。
(悔しい?)
最後の言葉の意味はわからないが、昔から仲の良いエリよりも俺の方に心を開いている部分がある事に
彼女は不満があるのだろう、と解釈した。
それから彼女は、こんな話をした。
「あの子って大学入った頃から見ているけど、ちょっと変わった子でさ……」
(ちょっと、か?)
俺は言いかけた冗談を仕舞いこむ。
「何て言うか、悪く言うと自分勝手っていうかマイペースって言うかさ、天然って言うか、とにかく、そんな感じなんだよね。
友達同士で食事をしようって時に、『どこの店に入ろうか?』ってなるじゃない。
そういう時に一人だけ『あそこがいい』って
皆の希望とは全然違う店を主張したり、グループで研究テーマを決める時でも
『これがしたい』って譲らなかったりしてね。
で、女の子って、そういうのを嫌うからさ、一年もしない内に自然と学科で孤立しちゃってね。
外見は可愛いから男は寄って来るんだけど、でも彼女の性格を見ちゃうと『我儘』って映っちゃうみたいでさ、なかなか長くは続…

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