忘れたいけど・②
2017/10/03
続きを書きます。
夏休みは、なるべく継父が帰ってくるお昼前には、出来るだけ家に居ない様にしていました。
でも、お盆が過ぎてすぐに工場で働く継父が、仕事中に足を怪我してしまい、しばらく休む事になりました。
兄は継父とは折り合いが悪く、部活を口実に留守番をする事は、ほとんどありませんでした。
私と妹は家事の手伝いで、洗濯やお昼ご飯の食器洗いや、部屋の掃除を当番制でしていました。
継父が仕事を休んで、2.3日過ぎた頃です。
私が、食器洗いの当番の日に、友達と約束があったので急いで食器を洗い終えて、カバンを肩に掛け家を出ました。
朝から怪しい空模様だったけど、ポッポッ、と降り始めてしまいました。
慌てて家に引き返すと、妹のキャッ、キャッ、と騒ぐ声が聞こえて、ソッと玄関から声のする居間を覗くと、下半身が裸の妹の股間に継父が顔を付けている最中でした。
私だけで無く、妹にもしてたんだ、とショックでした。
はい、もう終わるからねと継父の声が聞こえると、妹の脚を閉じ、継父はお尻が出るまで、ステテコとパンツを下げ、妹の足を挟む様な格好で腰を上下に動かし始めました。
妹には可哀相だけど、私は妹を助けないで家を出てしまいました。
その後、友達と話してても妹の事が心配で、全然楽しく無かった。
継父が休んで、一週間以上過ぎて、歩くのも平気そうだったけど仕事には行きませんでした。
だから、私が食器洗いの当番の日は、出掛けない様にして、妹を見守っていました。
私と妹が一緒に居れば平気だと思っていました。
妹が食器洗い当番の時は、遊びたい一心で、早く仕事を済ませると出掛けてしまいました。
私は、継父と二人だけにならない様に自分の部屋で宿題をしてました。
それでも、継父が部屋に来て宿題してるんだからと断れと光一が帰ってきて見られても良いのかと脅す様になっていました。
椅子から引きずり下ろされ、畳みに寝かされると唇に吸い付いてきて、ベロベロ舐める様にされました。
シャツを捲り上げ、胸を出すと今度は乳首に吸い付き、ベロベロ舐めたり、指で摘んだりして、最終的には下半身は裸にされ、満足するまで触ったり、指を入れたりしていました。
私は、早く終わって欲しい、と思うだけでした。
最後は、足を開かれ割れ目に固くなったチンチンを押し付ける様に動かして、膣口に先だけを押し込む様にして、出して終わり。
いつもと同じ行為の流れでした。
ティッシュでチンチンを拭きながらどうだ、気持ち良かったかと聞かれ、返事をしないと怒り始めるのでまだ。
とだけ返事をすると後少ししたら、チンポを入れてやるからなといつもの返事。
一回入れてしまえば、病み付きになるぞとニャニャしながら部屋を出て行きました。
しばらくしたら、キィキキッ、と自転車の止まる音が聞こえ、慌てて、サッと割れ目を拭き、下着とズボンをはいて、ごみ箱の嫌な匂いがするティッシュを、新しいティッシュで包み、匂いがしない様に奥に押し込みました。
結局、継父は私たちの夏休み中は仕事には行きませんでした。
新学期が始まり、継父から離れられる時間が嬉しかった。
継父と兄の関係は更に悪くなり、口喧嘩が多くなっていきました。
妹は三年生だったので、継父の行為を悪い事と思って無かったのか、擦り寄って行っては、継父あぐらの上に座ってはテレビを見たり、何か継父と話している様でした。
たぶん、手は妹のショーツの中に入っていたと思います。
仕事も余り行かなくなり、結局、仕事はクビになり、遊びにも連れて行ってくれなくなりました。
生活も前より苦しくなるし、六年生になった私は、修学旅行の旅費の事が心配になり母に聞いた事がありました。
大丈夫だよ、お父さんにも話してあるから心配しないでと笑顔で言われたので、少し安心しました。
五月の連休は、家に居てゲームで遊ぶか、本屋さんとかで時間を潰していました。
母は、休日も仕事に出掛け、残業も増えていました。
継父も、母の知り合いの工場で働き始めました。
継父からの悪戯も少し減ってて、安心していました。
が、六月に運動会の振替で月曜が休みの時でした。
朝から妹は友達の家に遊びに行くと言ってたし、兄は学校で、継父と母も仕事に出掛けました。
一人で、朝ご飯の後片付けや洗濯物を干したり、部屋の掃除を終わらせていました。
いつの間にか寝てしまい、気が付くと私の横に継父がいました。
いつもはお弁当を持って行っるから、お昼には帰ってきて来ないはずなのにどうしたのと聞いたら無言で私に覆いかぶさって来ました。
しばらく悪戯されて無かったのに、またかぁ、と思いました。
キスをしてきて、いつもと同じ様にしてきた。
早く終わらせて、仕事に行ってと心の中でつぶやいていました。
シャツを脱がされ、ソフトブラも脱がされてしまいました。
時計を見たら、十二時半も過ぎ、あと少しの辛抱と目を閉じて終わるのを待ちました。
スカートとショーツを脱がされ、全裸にされたのが判りました。
割れ目を開き、ベロベロと舌を押し付けては、クリトリスを刺激したり、膣に指を入れたりしてるのが判りました。
あと少しの我慢、早く出して終わりにしてと目を閉じて我慢していました。
継父が離れる気配がして、今日は、出さないで終わってくれたと思ってたら、カチャ、カチャ、とベルトのバックルの音がしたのて、薄目で継父の様子を見たら、上着は脱いで裸になってて、ベルトを外しズボンとパンツを脱ぐと、チンチンは固くなってて、上を向いていました。
靴下だけの全裸の継父は、私の足を折り曲げる様にして、グイッ、と左右に開き、固くなったチンチンを膣口に押し当てて来ました。
出して終わりだと薄目で様子を見てました。
継父の顔は汗がいっぱい出ていて、手の平に唾液をいっぱい出して、私の割れ目に塗り付け、また唾液を出して、今度はチンチンに塗り付けているのが、左右に開かれた私の脚の間から見えました。
継父は自分でチンチンを握ると、グイッ、と入れてきました。
入り口が、ギュッ、と拡がる感覚して、グイグイ押し付けられて、苦しい、て感覚にやめて、ストップの私の声を無視して、無理矢理に押し付けていました。
でも、すぐに抜いてくれた、と思ったらゴソゴソと私のお尻の下に入れると、また押し付けて、また入り口が拡がりグイグイと押し拡げる様な感覚で苦しかった。
継父が私に覆いかぶさって来て、重い体重で動けないし息苦しい、ゴツンと股間ぶつかる衝撃と同時に、言いようのない痛みが体中に走りました。
何か、ブツブツとつぶやきなが、継父が腰を動かして様子だったけど、痛さの余り感覚が無く、ただ痛いだけ、苦しいだけ。
息遣いが、一度夜中に見た母と継父とのセックスの時の息遣いと同じだった。
継父が腰をぶつける度に、畳で背中が擦れて痛い。
痛みを我慢しながら、早く終われ、早く終われ、と祈っていました。
クッ、クッ、グッと唸るみたいな息をすると、腰の動きが止まり、更に体重が掛かり押し潰されるかと思いましたが、横に避けて寝転がってくたから助かった。
逃げようと体を起こしたら腕を掴まれ俺が働いて旅費出してやるよ、だから言う事聞けと言われた。
これ以上、何を言う事を聞けと言うの。
痛さと情けなくて、涙がいっぱい出た。
返事をしないと、また怒り出すから分かりましたと返事をして、しゃがみ込み、ティッシュで股のヌルヌルを拭き取ると、血がいっぱい出てて、精液も拭いても、拭いても、中から出てきた。
その様子を継父は、ジッと見ていて、先までダラン、としてたチンチンが、また固くなってた。
腕を引っ張られ、倒れ込むと、また私の上に重なってきて、ジンジンと痛む体に入れてきました。
もう、どうでも良いや、と投げやりな気持ちでいました。
どうして、こんなおやじを好きになったんだろう、と母を恨みました。
継父の顔を見ながら何、汗いっぱい掻いて、変態とか何いい年して、必死こいてるの と心の中で継父を馬鹿にする言葉を、いっぱい言ってた。
次から次へと、いっぱい浮かんできて、そうしている間にウッ、ウッ、フーと息をしながら動きが止まり、私の体から離れてくれた。
ただいまぁと妹の声に慌てて起き上がり、私はそのままお風呂場に駆け込みました。
シャワーで体を洗っても、タバコと唾液の匂いが残ってる様な気がして、ボディーソープで何回も洗い、中から出て来るヌルヌルの精液と血が混じった液体は、洗い流しても、次から次へ出て来ていました。
お姉ちゃん、服、置いておくねと声を掛けて行きました。
服から下着まで居間に脱ぎ捨ててあったのを見て、妹はどう思ったろ・・・・・あと畳にも、血と精液で染みに成ってるのを見てるはずだし、何より継父が全裸で居たのを不思議に思っただろうし。
でも、あの人の事だから、いい様に妹を言い包めたのかも。
服を来て脱衣場を出て、居間の前を通る時、チラッ、と見たら、妹のスカート中に手を入れてるのが見えたのでねぇ、ゆう、楽しかったと話し掛けて居間に入ると、素早く手を引っ込めるのが見えた。
妹もスカートを直し立ち上がると、私と一緒に部屋に付いてきた。
その後も、色々な理由と口実で二人だけになると、無理矢理やらされてた。
でも、兄が学校の事で継父と口喧嘩から、エスカレートした継父に殴られ、アザが出来た状態で学校に行ったら、問題になり、学校、教育委員会、警察、母との話し合いになりました。
継父は、実の息子さんにも虐待してて、問題になり、それが原因で離婚したそうです。
母も継父とは別れる事にして、婚姻届とかも出して無かったので良かったみたいです。
ただ母には、継父に私がされた虐待の事は話していないし、妹から、悪戯された記憶が消えるを私は願います。