熟年離婚して一人ぼっちなった還暦のお父さんと三十路の娘

2017/09/23

昭和で今よりも社会に活気があって景気がよかった頃の今となってはもう昔話です。
ある年の4月になって間もない頃、父親の職場から電話がありました。
それは、作業現場から転落し、病院に搬送されたというものでした。
幸いにも、左腕の骨折だけで済み、命に別条はありませんでした。
しかし、父と母はいわゆる「熟年離婚」をした直後であり、職人気質で亭主関白の父は、家事どころかお茶の一つも入れられない程。
その上、骨折しての不自由な生活という事で、数年ぶりに実家に戻りました。
実を言うと、その当時私が丁度30代になった頃、すでに私と夫は完全に冷め切っており、酒に溺れては手を上げるDV夫から逃げる様に出て来たのです。
当初、父はかたくなに「お前の助けなどいらん」と頑固に言い張っていましたが、やはり不自由な事に直面し、私が手を差し出す事にも文句を言わなくなる様になっていました。
数ヶ月後、怪我も完治。
それでも私は、ずっと実家に残りました。
毎朝父にお弁当を作り、夕食を用意し帰りを待つ。
そしてお父さんの為に家事をこなす。
何でもない、そんな平凡な毎日を穏やかに過ごせる事に、ささやかな幸せを感じていたのです。
2人の離婚の原因は、仕事ばかりで家庭をかえりみない父に、母が愛想をつかした、というものでしたが、私には分かりませんでした。
だってこんなにも一生懸命に働いてくれているのに。
他にも理由はあったかもしれませんが、それでも昔ながらの男くささを感じさせる父と平和に暮らせる事に、感謝の気持ちで一杯でした。
だけれども、この時の私は、父に対する本当の感情にまだ気付いてはいませんでした。
半年程経った12月のある日、父が突然、「たまにはどこかへ出掛けるか。どこでも好きなとこ選べ」と言い出したのです。
面と向かってははっきり言いませんでしたが、私への感謝のつもりだった様です。
父にも意外に可愛い所があったんですね。
どこにしようか迷いましたが、思い切って海外旅行をおねだりしてみると、あっさりとOKが。
こうして冬休みをずらして、1月半ばから一週間フィジー旅行へ行く事になりました。
初めて行くフィジーは、正に楽園でした。
真っ青な空に白い砂浜、透き通る海に眩しいばかりの太陽。
ホテルも、いわゆるホテルではなく、広く続くプライベートビーチにペンションが点在するという所。
ログハウス調の建物にプールまで付いていました。
到着した日はそのまま休み、翌日からは日々の生活を忘れ、ビーチで遊び楽しい一時を過ごしていました。
しかしその時、予想もしていなかった気持ちに気付きました。
さすがに南国、照り付ける日差しがきつく、背中に日焼け止めクリームを父に塗って貰った瞬間、心臓がドキドキ高鳴り始めたのです。
ゴツゴツした指が私の背中を撫でる感覚に、僅かながらも戸惑った事は確かでした。
しかしそれもあっと言う間。
深く考える事もせず、再び2人で海辺で過ごしました。
ですが、今思い返せば、父を男性と意識した瞬間はこの時が初めての時でした。
今までファザコンでもないし、もちろん大切な父親ですが、特別な愛情を抱いた事は一度もありませんでした。
その後も街へ繰り出し、夜には、満天に煌めく星空の下、プールサイドのデッキで父はビール、私はワインを楽しみ、夜でも火照った体をプールでクールダウンさせたりしてリラックスした時を過ごしていました。
が、次の瞬間、確かなる父への想いに直面する事に。
それはたわいもない場面でした。
年甲斐もなく私達親子は、プールの水を掛け合ったり、中に引きずり込んだりしてはしゃいでいました。
そして息も苦しくなり水面に上がると、すぐ目の前に父の顔が。
なぜだか目が合ったまま、2人共体が固まって動けなくなっていました。
父の目を見つめ、吸い込まれそうになる。
確かにその中には、父娘の関係を越えた、欲望に満ちたものがあったのです。
この時が父と私の中に、「男と女」が芽生えた瞬間でした。
金縛りにあったまま、自然とその距離が10cm、5cmと縮まって行き、遂には唇と唇が触れ合うその寸前、父も私も「はっ」と我に返り、欲望の呪縛から解き放たれ、慌てて体を離しました。
私達の間に流れる気まずい空気。
それを掻き消そうと、「も、もう寝るわね」と私の方から切り出すと、「あっ、あぁ」と動揺を隠せない声で返す父。
ビールをくぃっと一気に飲み干すと、寝室へと消えて行きました。
その夜、私は自分の寝室でベッドに入りながらも、朝方まで寝付けずにいました。
「さっきのは何だったんだろう。もしあそこで我に返っていなかったら」そう考えると、悶々として頭から離れません。
しかし、それと同時に昼間のビーチでのドキドキよりも遥かに大きい胸の高鳴りが止められませんでした。
いつしか眠りについてしまい、気が付くと朝の10時を回っていました。
リビングに行くと、そこにはもう父が。
直ぐさま頭に甦る昨夜の出来事。
どう接して良いのか、軽くパニック状態でした。
それは見るからに、父も同じ様でした。
気まずそうにタバコをふかしながら、朝からビーチを飲んでる。
軽く朝食を食べている間も、引き続く重い空気感。
元々普段から口数の少ない父ではありましたが、明らかにいつもとは違う。
私はこの空気に耐えられず、ホテルのエステに出掛けました。
しかし、戻ってきてもまだ午後3時。
これからの時間どうしようと考えていた時、父から「その辺歩かないか」と切り出してきました。
私達は、海岸線沿いの小高い崖を歩き続けました。
でも、父は一切喋ろうとしません。
無言のまま真直ぐを見つめていました。
その時です。
ふとした瞬間、父の手が私の腰に回されました。
「えっ」と動揺を隠せない私。
ですが、父の手は私を引き寄せたままでした。
父の中にある想いを感じたこの時、私も自分の気持ちを解き放ちました。
自分でも分かっていたはず。
でも気付こうとしてなかった。
認めようとしなかった。
「父が大好き。男性して愛している」自分に正直になれたこの瞬間、私も体を父に預けました。
2人で寄り添いながら歩き続けました。
禁断の恋だけど、堪らなく幸せな一時。
気が付くとあんなに晴れていたのに、灰色の雲が低く立ち込め、波が荒立っていました。
風も強くなる。
暫くすると、サーっと雨が降り始めました。
「行こうか」更にギュッと引き寄せながら呟いた父の一言。
私には、その一言の意味が充実分かりました。
低くうねる波の不気味な音が、まるで私達の間に立ち込める危険な匂いを見透かし、警告を与えているかの様でしたペンションに着くと、父は私の手を引き寝室迄連れて行く。
ドアを開け、レディーファーストの様に私を先に入れると後ろで静かに閉めました。
ゆっくりと私は振り返り、「お父さん…」と、私の方から雨に濡れたワンピースのボタンを上から一つずつ外し、呟きました。
勇ましく私に近寄る父そのまま私の唇を強引に奪ってきました。
荒々しくワンピースをはぎ取りながらも唇を求め、私も熱烈なキスで返しました。
器用に片手でブラのホックを外し、こぼれ落ちたバストを鷲掴みに。
指先で乳首を弾かれ、思わずこぼれる吐息。
それが、舐められ、吸われ、甘噛みされると、確かな喘ぎに変わりました。
まだこれだけの愛撫で、パンティを濡らしてしまう私。
薄い生地の上からワレメをなぞられると、どんどん愛液が溢れて止まりませんでした。
その内父の指が進入してきて、直に触れてくる。
ピチャピチャという音が響き渡る程になっていました。
父にしがみつき、はしたなく喘ぎ声を出して感じてしまっていました。
愛する人と結ばれる喜びよりも、やはり父と娘の禁断の行為という意識の方が勝ってしまう。
でもその背徳感が、更に体を敏感にさせてしまうんです。
フラフラになりながらも、今度は私が父のボタンに手をかけ、服を脱がせました。
はだけたシャツから覗く逞しい胸板。
62歳とは思えない筋肉質な体付きで、浅黒く日焼けした肌が一層活力を感じさせます。
続いてベルトもズボンも下着も脱がせると、激しく脈打つアソコが露に。
主人のモノよりも、今までもの誰よりも迫力のあるものでした。
私は取り憑かれた様に頬張り、一心不乱に咥え続けていました。
父の体が、ピクッピクッと震え、「あっあぁ」と唸ると、口から抜き取りました。
私のパンティも脱がし、これで2人は一糸纏わぬ生まれたままの姿。
父は私をベッドに運ぶと股を開かせ、口での愛撫に。
歓喜の声を上げながら、思わず私は父の短く刈り込まれた頭を掴み、グイグイと押し付けていました。
じゅるじゅると滴るいやらしい音をたてながら、巧みに動く舌。
ここまでの間に何度絶頂を迎えたでしょうか、父が私の股の間に膝立ちになり、充実過ぎる程塗れぼそったワレメに当てがってきました。
遂に迎えたこの瞬間。
無言ながらも、私達の見つめあった視線の中には、結ばれる合図を感じ取っていました。
熱く、硬くそそり立つ父のモノが、滑った感…

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