サークルの大学生と 終

2018/03/08

壱弐参肆9アヤからのメールを見た時に何故か直感的に、話す時が来たのだ、という気がした。
例え、アヤの話がどういった内容であろうとも、その場で彼女の話を打ち明けようと、その時、覚悟を決めた。
返信をして、何度か遣り取りをすると、今月下旬の土曜に約束が決まった。
彼女には、前もって予定が入った事を伝えておいた。
約束の日は、すぐに来た。
待ち合わせは、アヤの家に近い駅で、盆休みに二人で会った場所だった。
その日は風が強く、正午でも充分寒かったのに、陽が傾きかけた今では更に気温が下がっていた。
アヤは、この寒いのにミニのタイトスカートを穿いている。
厚手のスパッツを穿いてはいるが、寒くないのだろうか。
ブーツのせいで普段よりも背が高く見える。
上着はコートのせいでわからない。
顔を合わせると、アヤは当然のように、以前と同じ店に入っていった。
前回、来た時には気付かなかったが、その店は時間帯によってメニューが違うようだ。
昼間は洋食屋だが、夜にはバーみたいに酒を出しているらしい。
夏に来た時はランチタイムだった、という事だろう。
ウェイターが運んで来たメニューには見覚えのない名前が並んでいる。
店内の照明は控え目で落ち着いた雰囲気を醸し出していて、以前来た時とは様子が全く違っていた。
夕食には少し時間が早いせいか、あまり混雑していなかったので今日も窓際の席に座る事が出来た。
暮れゆく街並のあちこちで
電気が点き始めるのが窓越しに見える。
既に街灯も灯っていて幻想的な風景だ。
注文を済ませると俺達は黙り込んでしまった。
元々アヤから誘われたので、向こうが話し出すまで俺は待つ事にした。
飲み物が来るまでは、とても長く感じた。
ずっと黙っている訳にもいかないので、俺は天気や体調など、当たり障りのない話題を持ち出して、何とか時間を潰していた。
上辺の遣り取りが何度か続いた頃、漸く酒が運ばれてくる。
二人ともビールの中ジョッキ。
グラスを合わせて乾杯をする。
飲み始めて、順々に、つまみが運ばれてくる頃になると、俺は我慢出来なくなってアヤに今日の用件を問い質した。
「今日はどうしたの?」
「……うん……」
「何か話があったんじゃないの?」
俺は重ねて訊く。
彼女は俯いてテーブルの一点を見ながら
何度もグラスを口に運んでいた。
俺は、その様子を見詰める。
伏し目がちに瞬く睫毛と張りのある頬と、それから胸元から覗く鎖骨を順番に見た。
今日も髪を巻いている。
全体が波打ち複雑な模様を描いていて、それが彼女の心境を表しているような気がした。
「あのさ……」
アヤは、漸く語り出す。
「俺くん、私に言う事ない?」
「言う事って?」
今日の彼女の態度や雰囲気から、何の事であるか想像はついていたのに、最後の望みをかけて万が一違ったらいいな、という思いで、そう訊き返した。
「私……見ちゃったんだよね」
「……何を?」
「初詣、で」
アヤは俺を上目遣いに見た。
俺は、やはりアヤに見られていたのだ、と悟った。
考えてみれば、幾ら周りに人が大勢いるからって、ほんの何メートルか近くを顔見知りが通り過ぎているのだ。
よほど余所見をしない限り、僅かでも視界に入れば見付かる確率は高いはずだった。
あの時だって、可能性は五分五分だと思っていたし、アヤじゃなくてもエリが気付けば同じ結果になるだろう。
そんな事を考えながら相手を見詰める。
向こうも俺を見詰め返していた。
その瞳が暗い照明を鈍く反射して妖しく光る。
それから俺は観念したように、全てをアヤに話し出した。
元々、会う前から決心していたので、自分の想像以上に上手く順序立てて説明する事が出来た。
最初、彼女について言及すると、アヤは、とても驚いた顔をした。
しかし、それは一瞬で消えて、すぐ俺に続きを促してくる。
それから、去年の秋頃から俺が感じた事や、してきた事を話していく。
アヤは、時々頷きながら俺の話に聞き入っていた。
「……って、感じ」
全部を話し終えると肩の荷が下りたように溜息をつく。
知らない内に緊張していたみたいだ。
肩に力が入っているのがわかる。
アヤは、「そう」とだけ言った。
俺は、アヤの反応が怖かった。
何と言われるだろう?
冷静に考えれば、アヤが俺に対して何か否定的な事を言うはずはない。
非難する立場にもないし文句を言うのも可笑しい。
ただ、俺からすれば、あの雪の日の事を持ち出されるのだけは心苦しい思いがした。
アヤに、どう話そうかと考えている時も、彼女との馴れ初めを語るのは簡単だったが、その事だけには満足のいく説明を思い付かなかった。
どう言えば、あの時の俺の状態を説明出来るだろうか。
そればかり考えていた。
しかし、それは杞憂だった。
アヤは、あの日に関しては一言も触れてこない。
ただ、付き合い始めのカップルに訊くような、どれくらい会っているのか、とかデートはどこに行くのか、とか当たり障りのない質問ばかりをしてきた。
それも活発な遣り取りではなく、ぽつぽつと言葉を置いていくような会話だったから話の展開が遅い。
どうも彼女は塞ぎこんでいる様子で、俺の話を聞きながらも
頭の隅では別の事を考えているような感じだった。
それで俺は、アヤの問いに答えながら、その理由を探ろうとした。
俺と会った時には、アヤは、もう少し明るい態度であった。
どちらかと言うと、俺に探りを入れて初詣に連れていた彼女の事を訊き出そう
というような姿勢が見られた。
それが、彼女について話し出してから、アヤの様子が変わった。
口数も減ったし、俺の方を見ない。
俺は、考えても思い当たる理由が見付からなくて、直截アヤに訊いた。
「どうした?」
「何が?」
「元気ないね」
「うん……」
「俺、マズイ事、言ったかな」
「ううん、違うの」
「じゃあ、何?」
アヤの指がグラスに伸びる。
テーブルの上だけが照度が高い。
その爪先が照らし出されると、口紅と同じ桃色なのに気付く。
店内は控え目な音楽が流れていて、それが俺の耳に届いてきた。
ジャズだろうか。
軽やかなピアノの音色が響く。
「私さ……悪い事、言っちゃったね……」
アヤの声は消えそうに小さい。
耳を凝らして、その先を待った。
「前にさ……
女の人は待ってないとか、知った風な事、言っちゃって……」
「何の話?」
俺が問うと、アヤは、あの雪の日に自分が話した事を繰り返した。
「そんな事、言った?」
あの日に関して、俺の記憶は偏っている。
その殆どは、言葉にすれば、アヤとのキスと、彼女を忘却する方法と、未来への希望、というようなものになるだろうか。
とにかく、そういったもので占められていて、アヤが、今、持ち出してきた話の多くを俺は忘れていた。
黙って俯くアヤ。
「恥ずかしいよね、私。
偉そうにアドバイスみたいな事、言っておいて……これじゃあさ、なんか俺くんの恋愛を邪魔してるみたいじゃない?」
俺は、慰めに聞こえないように注意して、その言葉を否定した。
その時になって、俺は初めて知った。
アヤにとっては、あの雪の日の位置付けが、俺とは変わってきているのだ、と。
最初、俺にとっての雪の日は、アヤとの結束の日で、言わば同じ目標に向かって共闘を誓った、そんな日だった。
だが、俺には彼女が出来た。
俺とアヤは付き合っている訳じゃないから、別に恋人が出来たって構わない。
構わないのだが、その相手が、あの時、アヤに語った女では話が違ってくる。
あの時の御前は何だったのか、と問われれば返す言葉もない。
だから、俺はアヤを裏切っているような気がしたし、出来るなら、あの日の事に関しては触れて欲しくなかった。
その話を出されれば、俺は完全に敗者で、アヤは勝者だった。
そう思っていた。
しかし、俺が考えるようにアヤは考えていなかった。
アヤから見ると、あの日の自分の言動は、結果的にではあるが、俺に足枷を掛けて、本来ならとっくに結ばれていたかもしれない二人の将来を
妨害するような形になってしまった、と感じられるようだ。
だから、アヤも、あの日については触れて欲しくない。
そういう思いが湧いてきたみたいだ。
もし、俺が付き合っている彼女が、別の誰かだったなら、きっとアヤは祝いの言葉を並べてくれたのだろう。
アヤは、頻りに、あの日の自分の言動を後悔するような台詞を吐いた。
俺は多少、大袈裟なくらいの言葉で慰めた。
自分が非難されるような事態ばかりを想像していたから、こうした場面になるとは思いもよらなかった。
「ホントに、ごめんなさい」
何度目かの遣り取りで、大分落ち着いたアヤは、最後に、そう言って頭を下げた。
「もういいって」
「だって……」
「別に、アヤちゃんが何も言わなかったとしても、俺達がもっと早く付き合っているとは限らないし」
「そうだけど……」
俺は、もう店を出ようとした。
このままでは堂々巡りだ。
いつまで経っても話が終わらない気がした。
アヤを促すと、彼女は素直に従った。
結局、アヤの用件は何だったのかわからなかったが、このまま話し合いを続けていっても同じ事の繰り返しで、きっと好ましい結果を迎えないだろうから、日を改めよう、と判断した。
店を出て、アヤを家まで送って行く事にした。
彼女は、それを拒んだが、夜も更けているし駅からの道は暗い所もあるので
反対を押し切って勝手について行った。
夜道は、とても静かで、こんな時間に、こうして、この道を歩いていると、あの頃の事を思い出した。
空気は澄んでいて、星がよく見える。
月は見えない。
新月だろうか。

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