その頃の私はまだ性的な部分で鈍感だったのです
2018/03/02
プレーリードッグってわかりますか?
ずんぐりむっくりで尻尾と耳の小さなリスって感じで、もう10年以上前はペットとして
飼っている人もけっこういました。
今は輸入規制がかかっていて一匹30万円もしますし、ショップでも滅多に見かけません。
いくら昔は安かったと言っても、ハムスターと比べれば10倍20倍の価格ですし、小学生が
簡単に買ってもらえるものでもありませんでした。
たとえお年玉を集めて額的にはギリ届いても、飼うことは親にはなかなか許してもらえなかった
と思います。
そんなプレーリードッグが、隣の家にいました。
マンション住まいなのですが、隣のお兄さん、大学生なのか浪人生だったのか。
当時私が9歳だとして、お兄さんが19歳?
だいたい 最初のきっかけはよく憶えていないのですが、玄関ドアに貼ったマグネットの合図で、遊びに行ってもよいかどうかがわかるというルールを決められていました。
もちろん先方にはお兄さんしかいないという合図です。
私のほうもお兄さんのところへ遊びに行くことは内緒にしなければいけませんでした。
それでも私はプレーリードッグ チップが目当てでよく隣家にお忍びで行っていました。
初めの頃、お兄さんはチップと遊んでいる私からは距離を置いていて、遠巻きに眺めて
いる感じでした。
私のところと同じ間取りのはずなのですが、家具の配置なんかでずいぶん印象は
違って見えましたが、基本は同じなのでトイレなども教わることなく使うことができました。
私がチップを抱いている様を写真に撮っていたこともあったと思うのですが、思った以上に
チップのケージ(檻)が置いてある部屋は暗く、フラッシュを使ってもいなかったので、ちゃんと
写ってたのかな?とふと思いました。
お兄さんは私にだけ飲み物を用意してくれました。
私と同じようにグラスを傾けて・・・というシーンがないのです。
片付けずにおいても、ご両親が帰ってきて来客があったと思わせないためのことだったのかな
と今は思います。
お兄さんが私に接触してきたのは、私がトイレに入った時だったと記憶しています。
ちょっと遅れてあとを付いてきたという感じで、パンツをおろして便座に座った瞬間だったのかな?
「あのさ、今、中に大きな蜘蛛がいるかもしれない。大丈夫?」
みたいな台詞を言われ、ちょっと驚いた私はそのまま立ってドアを開けました。
鍵はかけていなかったと思います。
今となっては自分の羞恥心のなさに驚きますが、中に入ってきたお兄さんは私をスッと抱き上げて
また便座に座らせました。
条件反射?私は思わずおしっこをしてしまいました。
スカートのすその後ろの部分がお尻の下にちょっと折り込まれた感じになっていて、そこを濡らして
しまったのです。
最中には気付かなかったのですが、トイレットペーパーで拭こうとして初めて手首に冷たさを感じで
気付きました。
お兄さんは床の周囲をぐるっと見回して、「うん、大丈夫だ。今日はいない」
そのまま出ていってドアはまた閉められました。
スカートを濡らしてしまった私はなかなか立つことができないでいました。
今思うと、またお兄さんがなんとかしてくれる。
抱き上げて運んでくれる、みたいな期待があったのだと
思います。
けれどもお兄さんは来てはくれませんでした。
つづきを書きます。
濡らしてしまった部分をめくり上げて、私はそのままぼんやりしていました。
どれくらいの時間が経ったのか、ようやくドアがノックされました。
「○○ちゃんどうしたの?お腹痛いの?」
聞きとれるかとれないかのギリギリの声でした。
ロックをしていない、外側へ開くドアを開けようとすると、少し開いたところで一旦さえぎられ、そこからは
お兄さんがドアを引き開けました。
彼が一瞬で全てを理解したとは思えませんが、私がちょうど、幼児が抱っこをねだるように両手を差し出した
ので、それには反応してくれ、たどたどしくはありましたが抱き上げてくれました。
狭いところから狭い通路へと運び出す過程で、私の足先はいろんなところにぶつかり、その度に
彼がひどく恐縮したのをよく憶えています。
私のパンツが膝までおりていることに彼はどの時点で気付いたのでしょうか。
リビングにおろされた私はまたデニム地の濡れたスカートの端をつまみます。
ややあってようやく気付いたのか、お兄さんが隣室へ行って、帰って来たその手の片方には箱ままの
ティッシュ、もう片方には未使用らしき太い、巻きままのトイペ。
今改めて考えてみると、私がどちらを選ぶかでお兄さんは判断するつもりだったのでしょう。
私はトイレットペーパーを選び、お兄さんは、「じゃあ後ろを向いているからね」
実際の私は、その彼の言葉を聞いてやっと、あ、お股のほうを拭くんだと気付かされました。
まあもう一回ちゃんと立ちあがってしまったので今更拭いてもあまり意味がないとも思ったでしょうが
私は脚を広げて股間を拭きました。
後ろを向いていたお兄さんは、ティッシュの箱をテレビの上にポンと放り投げて、そのまま出ていきました。
長くなってしまいましたが、この件が以後の行為が私にとってそれこそ「過激な恋愛」になるのか、それとも「忌むべき性被害」になってしまうのかの瀬戸際なのでお許しください。
使ったトイペを小さく折りたたんではみたものの、近くに捨ておく訳にもいかず、私はまたトイレに向かい
ました。
半分開いたドアの隙間からお兄さんの姿が見えました。
身をかがめて、おそらくは私のやらかしたあとの始末をしているのだとすぐに判りました。
「ごめんなさい」
「あ、いや大丈夫。
何ともなってなかったから・・・。
それよりスカート、そこだけ洗おうか?やってあげるから
恥ずかしくなかったら今脱いで」
確かこんなようなことを言われたと思います。
私というと、何の躊躇もなく無造作にスカートを脱いだと記憶しています。
まだまだほとんど羞恥心なんてなかったと思います。
特に大人の人相手に恥ずかしいなんて感じたことはなかったでしょうね。
まだ父親と風呂に入ることもあったように思いますし、学校での着替えも、それなりにちゃんとした手続きを
経れば男女が同時に着替えることがないようにと配慮されていたにも関わらず、みんなで無視していましたし、それで納得していました。
胸がもうおっぱいになりかけているとか、男子の興味の中心になるタイプでもなかったので、手っ取り早さを
最優先してました。
お兄さんは洗面台を使って私のスカートの部分洗い(というか、すすぎ)をしてくれました。
私はちょっと後ろに立って、鏡越しにお兄さんの表情なんかを伺い見たりしていました。
当然、基本的に我が家のと同じ洗面台セットなのですが、置いているものやなんかの違いで、こうも
別物に見えるんだなーと感心したり。
あとはドライヤーで乾かしただけ。
その日はほんとにそれだけでした。
お兄さんがスカートを穿かせてくれようとするのが、幼児扱いされている気がして、それが少し恥ずかし
かったような・・・。
「今度、チップ(プレーリードッグの名前)をお風呂に入れて、それでまたこれ(ドライヤー)で乾かそうか?」
みたいな会話があった気もしますが、これは別の日だったかも。
まだまだ拙いですが、その日を境に私の中にお兄さんへのほのかな恋心が生まれていたんだと思い
ます。
実は、その頃からずっとだと思うのですが、私はお兄さんの名前を知りませんでした。
知りませんでしたというか、正確な名前を知らなくて、かずくんなのかたっくんなのかレベルでは把握
できていたのですが「お兄ちゃん」で通していました。
(名字は今でも覚えています)
これは私が一人っ子であったこともあります。
お兄ちゃんは俗にいう秀才タイプになるのかな?
スポーツで鍛えた体という風ではなく、線が細くて、どちらかというと男性としては色白のほうだったと
思います。
メガネとサラサラヘアーが印象的でしたね。
良く言うと水木しげるを演じてた向井理といった感じでしょうか。
大学生だったのか浪人生だったのか。
いちど我が家の食卓で彼のことが話題にのぼったことあって、その時に私の母親が浪人生だと言ってた
気もしますが、曖昧なままです。
(今になって母に聞くこのも変ですし・・・) 157 なまえ…